しきたり雑考(73)
一つと二つについて2
今月は「一つと二つ」についてお話しします。
一つでは奇異を感じるので、その二で、二回にします。
{『しぐさの民俗学』ミネルヴァ書房 常光徹著 参考}
先月、「一回」は異常や不安定、あるいは非日常的なことを表し、
「二回」は正常や日常性を表現すということをお話し致しました。
この一つに関係する俗信はたくさんあります。少し挙げてみましょう。
・家の上をからすが、一声鳴いて飛んでいくと、その家は火事になる。
・夕方のカラスの一口鳴きは、身内に不幸がある。
・ご飯をよそうときに、一回でよそわず、二回によそう。
・他の家を訪問したとき、出されたお茶は一杯のみ飲んではいけない。
二杯飲むものである。
・顔を二回ふかないと、親の死に目に会えない。
・新しいローソクは、一度消して、二度目に点火する。
さまざまに、一回についての奇異を現しています。
最後の新しいローソクは、一度消して、二度目に点火するというのは、
初めて聞きましたが、これは鹿児島での俗信のようです。
この一回や一度というのを、「行き」と「帰り」を「片道」と「往復」と考え、
「行き」や「片道」のみであるのを避ける、そんな俗信もあります。
日常のことで言えば、洗濯のことで言い伝えられていることがあります。
昔は洗濯物を干すのは竹竿でした。たとえば竿に洗濯ものを干したら、
干したほうから抜かないと祟(たた)るということや、
洗濯物はさしたほうから抜かなくてはならないというものもあります。
また、洗濯物を竿のもとから袖を通して干し、
取り込むときは竿の先から外すなというのもあります。
これは「行き」と「帰り」で、二回と数えるのでしょう。
行きっぱなしでは一回と数えられるので、何か不吉な感じがするのです。
洗濯物でさえも、行きっぱなしでは、帰りの部分が抜け落ちているので、
家に帰ることができないという、非日常的な違和感を昔の人は感じたのでしょう。
とても繊細なことですが、それほど昔の人は、
奇異に関して注意を払い幸せを求めたのです。