しきたり雑考(60)
霊柩車を見ると縁起がいい
今月は「霊柩車を見ると縁起がいい」ということで考えていきます。
{『しぐさの民俗学』ミネルヴァ書房 常光徹著参考}
以前、霊柩車を見たら親指を隠すというお話をしたことがありました。
親指を隠さないと、親が早死にするとか、あるいは自分本人が災いに遭う。
そんな理由からでした。
その背景には、邪悪なものが指先、
特に親指から入るという俗信があったからです。
逆に、霊柩車を見ると縁起がいいという俗信もあるようです。
普通は霊柩車とか葬儀などは死霊のケガレをさける意味があるのですが、
そうではなくて、勝運に恵まれるというのです。
今は葬列を作って亡き霊をお墓に埋葬する
ということはなくなってきました。
もう40年も前になりますが、
私の父を送るときには葬列を作り墓地まで送りました。
そのとき棺を持つ人は草鞋をはき、帰りの道にその草鞋を捨ててきました。
その草鞋を持ち帰り履くと、足が丈夫になる
という、習わしもあるようです。
あるいは馬糞を踏むと、
足が速くなったり、背が高くなるということもあって、
汚れたものが縁起物になる例もあるのです。
この霊柩車を見ると縁起いいというのは、
他界(あの世)との調和的な繋がりから起こっているようです。
常光氏によると、
魚がたくさん取れたり、取れなかったりする伝承から推測すると、
人間の生命と魚という二つの富が、この世と他界の間で、交換されるのです。
この世から見れば、子が産まれればこの世に富が得られるので、
その分、この世の魚という富が失われ、
人が亡くなると、この世の富が失われるので、
他界から豊魚として、多くの富が得られると考えるのです。
この世とあの世(他界)の富を交換するという考え方からいえば、
人が亡くなると、この世の富が失われ、
あの世から富がこの世に移動してくるのです。
ですから霊柩車を見ると、
何らかの富としてのいいことが自分に与えられるというわけです。
霊柩車を見ると、その日一日、良いことがある。
親指を隠すよりも、こちらの考え方の方が前向きで、
安心できるような気もします。