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仏事の心構え(157)

仏像の見方について 37 荼吉尼天

今月は荼吉尼天(だきにてん)です。

荼吉尼天の中に「尼」(に)という文字があって、
尼は女性の意味がありますので、この天は女性になります。

天の神ですから、さぞ美しいと思ってしまいますが、そうではないようです。

この荼吉尼天は以前、人の肉(心臓)を食べる夜叉で、
肌は赤黒く、餓鬼のような姿をしていて、
右手に人間の足を持ち、左手には人間の手を持っているという、
そんな恐ろしい姿で表されているものもあるようです。

そんな女性としての夜叉がどうして天となり、仏を守り、
人の願いを聞く神になったのでしょう。

ある仏典によると、
毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)が大黒神に化身して、荼吉尼の前に現れ、
「お前は人を殺してばかりいる。人の悲しみが分からぬか。
こらしめに、今度は私がお前を食べてしまう。食われる恐ろしさを知れ」
といい、方便をもって荼吉尼を食べてしまったのです。

方便ですから、実際に食べていませんので、
食べられる恐ろしさを知った荼吉尼は、以後人の肉を食べないと誓いました。

しかし「どうしても肉が食べたい時にはどうすればよいでしょう」と聞くと、
「寿命が尽きていく、死人の心の垢を食べるならばよい」といわれ、
その心を食べ神通力を得て、仏を守る神になったようです。

※あかと読み煩悩の意味。あるいは死人の心臓。

豊川稲荷にはこの荼吉尼天が祀られているようで、稲荷のご神体のようです。

菩薩あるいは如来としての力を持つものです。
この神は農耕や商業を守る神で、キツネを使いとしています。

荼吉尼天は死人の心臓を食べるということから、
死んだ動物の内臓を食べるキツネのイメージと重なって、
キツネを使いとする稲荷と同一に見られるようになったという信仰があります。

この稲荷の荼吉尼天は中国風の衣装を着て、剣を持ち、キツネに乗っている姿です。