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仏事の心構え(129)

仏像の見方について 9 如来7

今月は如来の7回目で、「毘盧舎那如来」(びるしゃなにょらい)のお話を致します。

毘盧舎那如来はサンスクリット語で、ヴァイローチャナといい、
太陽のようにあまねく光を発して照らすという意味があり、盧舎那仏ともいいます。

釈迦如来は実際にこの世に現れ、人間の姿を取り、
80年の生涯を生きられました。

人と同じように、苦しみや悲しみを味わい、その人生の中で悟りを開き、
多くの正しく生きるための教えを説いて、人びとを導きました。

それを応身(おうじん)といいます。
天の世界にいて、人びと救うために、人として生まれ、現れた存在です。

毘盧舎那如来は人として生まれることなく天の世界、
すなわちお蓮華蔵(れんげぞう)世界にいて、
教え(法)そのものとして存在している仏です。
それを法身(ほっしん)といいます。

その毘盧舎那如来から分かれて、
この世に人としての姿をとって、人びとに教えをとく仏が、釈迦如来になります。

この意味で、毘盧舎那如来を本仏といい、釈迦如来を分身といいます。

さらに毘盧舎那如来は、一人の釈迦如来を分身させるのでなく、
無数の釈迦如来を分身させるあるいは分光させる大いなる力があるとされています。

毘盧舎那如来で有名なのが、奈良の東大寺の大仏です。
この大仏は毘盧舎那如来です。

その姿は台座の上に坐を組み、
通肩(つうけん)と言って、衣を両肩に羽織っています。

また印は釈迦如来と同じように、
右手に施無畏印(せむいいん)、左手が与願印(よがんいん)をとっています。
2011年5月参照

台座の27枚ある蓮華の葉(蓮弁・れんべん)の一枚一枚に、
釈迦如来と蓮華蔵世界が線で彫られています。
本仏と分身の関係を大仏で表しているのです。

この世に現れない本仏と、この世に現れて人を救う分身としての釈迦如来がいる。
とても不思議な感覚を覚えます。

人も決して、この世限りの存在ではないということです。