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みにミニ法話

(286)「命の輝き」

この世の命は、長く生きても100年くらいです。
その中で、どう自分の命を輝きださせるかが、大きな課題です。

そんな使命にも気づかないで、この命を、日々の暮らしに使い、
困ることなく食べていければよいと思い生きている人も、
なかにはいるかもしれません。

そう生きて最期を迎えれば、
「どう私は今まで生きてきたのか」という問いが、
自分を押し殺すほどの苦しみにつながっていくと思われます。

それはこの世限りの命という考え方が、
安易にこの世を過ごしてよいという生き方に通じているような気もします。

「法愛」で、いま「法華経」のことを書いています。

「法華経」の大切な教えのひとつは、
お釈迦様がこの世限りの命を持って生まれてきたのでなく、
久遠の命を持っているということを開示したところにあります。

そして弟子たちには、やがていつの日か来世で悟りを開き、
仏と同じ智慧(ちえ)を得るであろうと、未来のことを予言しています。

そう考えれば、私たちの命はこの世限りのものでないということが分かります。

名前も生まれた場所も文化や時代背景も一度限りですが、
永遠の命の観点から考えれば、この尊い一度の体験から何を学び、
何を自分の智慧として生きてきたかが重要で、
その生き方しだいで、来世の命の輝きが違ってくるわけです。

自分の命をこの世かぎりという狭い悟りに押し込めないで、
永遠の命、久遠の命をいただき、今世、こうした時代に生まれ、
さまざまなことを学んでいるのだということを理解したとき、
ただ単に食べるために働き、楽しむことのみに、
日々を送ることの軽率さに気づくと思います。

命の輝きを得る大前提に、この永遠の命を頂いて、
今ここに私がいるとういうことを知ることです。

そして仏の生き方を教えとし、それを生きる智慧とし、
さらには自分自身が、仏の説かれる慈悲の人となり、
まわりの人のお役に立っていくことが、
自分の命をさらに輝かせていくことであると理解することです。

互いがこの真実を悟ることで、そこに幸せの園が築かれていきます。
お互いの命の輝きが、幸せの光に変わっていくのです。