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みにミニ法話

(285)「この世とあの世」

この世を信じる人は100%でしょうが、
あの世を信じる人は、そんなにはいないと思われます。
なぜならば見えないからです。

死んだら終わりと思う人は、亡き人の亡骸(なきがら)を粗末にします。
海に捨てたり、山の木の下に捨てたり。
捨てるとあえていいましたが、本当のところは当たっていると思います。

心ある人は、亡骸を大切にし、塔を建て、
そこでお参りして、霊を慰めることを本来のこととして尊びます。

東日本大震災で亡くなった方はたくさんいらっしゃって、
まだ見つかっていない人が2500人以上おられます。
亡くなった人のお骨を探している人も、まだいます。
また、亡き人の幽霊を見るという人もたくさんいました。

この世あの世の境を「中有」(ちゅうう)といいますが、
そんな世界でまだ迷っているのかもしれません。
そんな中有を出て、あの世のあたたかな世界へ帰るためには、供養が必要なのです。

ひとつの実話を紹介します。

タクシードライバー達が、さまざまな体験をしています。
その1人に、石巻の人で、小さな女の子をタクシーに乗せたというのです。

ある日、巡回していたら8月の真夏なのに、
真冬の恰好をした女の子を見つけたのです。

タクシーを歩道につけると、その子は、小学生くらいで、
季節外れのコート、帽子、マフラーなどをつけて立っていたのです。

その時は深夜です。
とても不思議に思って、
「お嬢さん、お父さん、お母さんは」と尋ねると、
「ひとりぼっちなの」と、その子は返答したといいます。

迷子なのだと思い、家まで送ってあげようと家の場所を尋ね、
その付近まで乗せてあげたのです。

「おじちゃんありがとう」と言ってタクシーを降りたと思ったら、
その瞬間、姿を消してしまったのです。

確かに会話をし、女の子が降りる時にも、手を取ってあげて、
その手に触れたのに、突如スーっと消えたのです。

確かに人間の子であったので、
恐怖というか、驚きと不思議な思いでいっぱいだった、
とコメントしています。

その子は、震災で亡くなり、
お父さんやお母さんと会えなくなって、迷っている霊だと思われます。

あの世は確実にあり、
そのためにどう生きるかを自らに問い暮らすことが、とても大事なのです。