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みにミニ法話

(281)「思いを正す」

思いは自由になります。
この身体は、そんな思いと違って、自由になりません。
必ず老いて、病気になったり、衰えを感じては、不自由を思います。

そんな不自由な身体は、ほんとう自分ではなく、
この世で生きていくための乗り物、あるいは思いがまとっている
衣服にしか過ぎないかもしれないでのす。

そう考えていくと、思いが私自身ということになります。
どんな思いを、いつも心の中で抱いているかで、
その人の人柄や生き方がわかり、またその人自身の本来の姿がわかるのです。

この思いは相手にはわかりません。
言葉や行動に表して、初めてその人が何を考え思っているかがわかります。
言葉や行動に表さないで、思っているだけでは、
その人がどんな人かわからないわけです。

それに安心して、思いを野放しにし、
悪いことを考え、みだらな事を考え、不満や貪欲を思っていると、
心にその思いが染み込んで、取れなくなっていきます。

悪いことばかり思っている人は、表面は普通の顔をしていても、
本来の姿は悪人になるのです。ですから、思いを正すというのは、
とても大事なことなのです。

思いを正すというのを別の言い方にすれば、
自分自身を正すになります。
悪を思うのでなく、善を思い、その思いを言葉や行動に表していきます。
見えない思いなので、安心して、つまらないことを思ってしまいますが、
その思いを少し律して、いつも優しさとか思いやり、
感謝や慈しみの思いで、心を染めていくのです。
そうすると、その思いが私自身になっていくのです。

やがて死を迎え、この身体という乗り物を降り、
あるいは身体という衣服を脱ぎ捨て、あの世に帰ります。
そのとき、思いが私自身ですから、悪に染まった思いは、
そのような形に変わっていきます。

善に染まった思いは、光を放ったほほえみの姿に変わっていきます。
この真実を知れば、心で何を思っているかが、どんなに重要かを知るのです。
今日も、思いを正し、悪なる思いを律して捨て、善なる思いに、心を染めていきます。