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みにミニ法話

(280)「春風になる」

春の風が通り過ぎていくと、そこに花が咲きだします。
春の風が通り過ぎていくと、木々の芽吹きが始まります。
春の風が通りすぎていくと、なぜか元気をもらえて、
生きる力がでてきます。

春の風は、そのあたたかさが命です。
寒くもなく、熱くもなく、心地よいあたたかさです。

人として春の風のような人は、どんな人でしょう。
人に生きる力を与える人であり、人に安らぎを与える人であり、
人に喜びを与える、そんな人であるかもしれません。

それでいて、風が通り過ぎていくように、
「してあげた」という思いがない。
そんな心根を大事にできる人かもしれません。

一つの詩を紹介します。
「きんかんの木」という詩です。53才の女性の方の詩です。

「きんかんの木」

今年もたくさんの
きんかんの実がなった
二十五年前に 父が植えたものだ
しかし 本人は 嫌いだという
自分が嫌いなものを
植えるなんて 変わっている
と母は笑う
気づいてないの?
お母さん あなたの咳を とめたい為だよ

(産経新聞 平成28年2月3日付)

父がきんかんを25年前に植え、そのきんかんは本人が好きでないという。
しかし、植えた理由が、自分の妻の咳を治して楽にしてあげたいという、
心根の優しさからきています。

それに気づいてか、気づかないのか、笑っている母のことを書いています。

春の風は、どこにでも吹き抜けていきます。好き嫌いがないのです。
あの人は嫌いだから、避けて吹いていこう
などという春の風はありません。
だからあたたかく、すべてものを育んでいく力があるのかもしれません。

この詩の中に出てくる父なる人も、
自分の妻のために、好きでもないきんかんを植えました。
そんな思いが、家族の中にあたたかな風として吹き抜けています。
こんな簡単なことでも、あたたかな風を吹かせます。

素直に「ありがとう」が言えれば、春の風を吹かせたのかもしれません。
迷惑をかけたなら、素直に「ごめんなさい」と言う。
そこに春の風が吹き抜けていったのかもしれません。
自分が春の風になって吹き抜け、多くの人の瞳を輝かせていく。
そんな生き方が尊いのだと思います。