ホーム > 法愛 5月号 > みにミニ法話

みにミニ法話

(279)「松の緑のように」

木々には、1年で葉が散っていくものと、
1年の間ずっと緑をたたえているものがあります。
神様は何をそこに現そうとしているのでしょう。

私はいつも何を私たちに考えさせるために、
自然の中に、日常の事ごとの中に、神仏(かみほとけ)は、
その尊い思いを現わしているのか、と考えるようにしています。

木の葉はただ落ちるのでなく、
大概は紅葉し、美しく色づいて散っていきます。
秋の紅葉はとても心癒され、多くの人がその美しさに感動します。

人も一生を生きぬいて、
最期は生き抜いた証として、「美しく散っていけ」と
神仏は、その紅葉を通して、教えているのかもしれません。

そして、
「必ず、散る時がくるから、
 悔いなく生きて、とらわれなく天に舞っていけ」
とも教えてくださっているのかもしれません。

そして天に帰れば、しばらくして、またこの世に生を宿し、
あらたな生活が始まることも教えていると思われます。

1年中、緑をたたえている松はどうでしょう。
1年の間、緑を絶やさないと言ってもいいでしょう。

そこに見えるものは、
「努力を惜しまないことや、
 冬の寒さにも耐えて緑をたたえているその様から、苦難に耐えよ。
 松も寒さに耐えて緑を失わない。その姿がさらに緑を深くしている。
 雪の日を見よ。さらに緑の色がはえてきれいではないか。
 そう苦難に耐える姿は美しく尊いのだ」
そう教えてくださっているのかもしれません。

この「みにミニ法話」は以前語った、テレホン法話を文章にしています。
そのテレホン法話を始めたのが、昭和61年の9月です。当初は月2回でした。
それから数えて、すでに37年目に入っています。
その間挫折もあり、月に1度になりましたが、まだ続けています。

これも松の緑にたとえることができます。
たんたんと努力を惜しまず、緑というテレホン法話を、
落ち葉のように散らすことなく続けている。

今ではCDにして、1年丸ごと聞けるようにしています。
つたない法話ではありますが、このテレホン法話を聞いて、
何人の方が納得されたことでしょう。
松の緑を見て、その映える緑に心を癒すのに似ていると思うのです。

何ごとにもつけ、ずっと枯らさずに続けていく尊さを、一つの教訓としていけば、
そこに神仏の思いを感じとることができると思います。