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みにミニ法話

(276)「苦難を幸せに変える」

誰しもが苦難にあって苦しんだことがあると思います。
また今も苦難の中にいる人もいるでしょう。

苦難はよく言われることですが、その人に与えられた課題だといわれ、
またその苦難を誰しもが乗り越える力をもっているともいわれています。

さらにはその苦難は神や仏がくださって、
その苦難を乗り越え自分の人生の糧にしていくと考える人もいます。

苦難は何もしない人にはやってきません。
苦難は成功に向かって努力し、
何とか幸せをつかもうと思う人のところに苦難は起こってきます。
ですから、苦難には何か大きな意味がそこにあるわけです。

まず、苦難にあったときには、その苦難には、どのような意味があるかを考え、
そしてどう自分の考え方を変えていくかが大切になります。

たとえば、苦難という牢獄にいて苦しんでいるとします。
そのとき、その牢獄の窓から、ただ下を向いて泥ばかりを見て文句をいうのか、
あるいは天の星を見て、その輝きを自分の生きる力とするかで、苦難の在り方が違ってきます。

病気という苦難がくれば、病気という牢獄から、
「どうしてこんなことになったのか、私はもうだめかもしれない、
 なぜ私ばかりがこんな苦しい思いをするのか」
と、そう不満を思っていると、病気という牢獄から泥ばかりを見ていることになり、
決してそこから幸せを見つけることができないのです。

そうではなくて、病気という牢獄から、
「こんな私にも支えてくれる人がいる、
 これは少し休んで体をいたわれということかもしれない。
 今まで元気で生きてこられたことに感謝しなくてはいけない」
と、感じながら養生をしていく。

そうすると、病気という苦難も、
やがて幸せを作り上げるひとつの生きる材料になっていきます。

苦難という牢獄にあって、星を見るか泥をみるかによって幸せへの道が変わってきます。
どんな苦難にあっても、それは私自身に与えられて課題であり、
そのときに、何かそこに宝となる輝きが潜んでいる確信し、たんたんと日々を努力し生きていく。
そう生きていると、やがて幸せという星を手に取ることができるのです。