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みにミニ法話

(273)「死後の真実」

死後についてはあるかないかですが、
生きたままあの世に確かにいって帰ってきた人が、
常識として、あまりいらっしゃらないので、
確かにあるということを語るのは難しいかもしれません。

お坊さんでも、あるかないかはっきりしないまま、
葬儀をしている方もいると聞きます。

あの世がわからないままでいるというのは、少し苦痛や不安を感じるものです。
ある人の説では、あの世があると思っていて、実際に亡くなって、
あの世があれば、あの世はあったのかと思えるし、なければそれでお終いとなる。
もし、あの世がないと思っている人が、あの世がなければそれでいいのですが、
もしあった場合、困ってしまうので、そう考えれば、
あの世があると思っていたほうがよいと。

そんな考え方をする人もいます。
あの世があると思って生活し、準備をし、
もしあの世があれば、無駄な生き方をしなくてすみます。

またあの世があると信じるのは自由だし、無いと考えるのも自由という人もいます。

もしそれが坊さんであったならば、少し問題があります。
浄土宗ではお浄土を説きます。浄土はあの世です。
死んで後に、阿弥陀様に救われて、お浄土の世界に行き、そこで、幸せに暮らす。
それを信仰の根本に据えていますから、あの世は確実になくてはならないものです。

禅宗では死後の世界をはっきりとは言いませんが、
教えにのっとって考えると、禅は自己責任の教えですから、
悪いことをすれば悪い世界に行き、善いことを積み重ねて生きれば、
善い世界に行くとなります。

この考えはなかなか厳しい考え方で、
ただ念仏を唱えれば行ける世界ではないわけです。

お釈迦様も明確にあの世の世界を語っていますので、
お釈迦様を信じれば、自ずと、死後の世界を信じなくてはならなくなります。

死後は必ずあって、善を積み、悪を止めて生きれば、
死後、善なる人が迎えてくださり、心平安に、
あの世の世界でほほえみもって暮らしていけるというのが、真実です。