ホーム > 法愛 4月号 > みにミニ法話

みにミニ法話

(272)「道を拓く」

野や山を切り分けて、道を作るというのは大変な仕事です。

中央自動車道を走っていて、特に松本から長野に抜ける道路は、
トンネルが多く、山の中を切り分けて、道を作っている様子が分かり、
通るたびに、よくこんな所に道路を作ったものだという思いに駆られます。

姥捨て山のサービスエリアには、周りの景色を見下ろせる盛り上げた丘があって、
そこから下界を広く見下ろせ、サービスエリアをここに作ったことのすごさを、
みな思うでしょう。

人生も同じです。
自分自身の前に道を作り、その道を歩んでいくというのは、
並大抵なことではありません。

山にトンネルを掘り、谷には橋をかけ、また一休みするエリヤを作り、
人生という道を切り拓いて歩んでいかなくてはなりません。

その行きつく先は、よく困難を乗り越え、
自らを律しながら、人の役立つ生き方をしてきたということに尽きます。
目的地に待っている仲間が、よく使命を果たしたとほめてくれれば、
人生は成功したといえます。

そのために、自らが努力して道を切り拓いていかなくてはなりません。
その道を歩む助けとなる生き方は先人の築いてきた生き方、
あるいは考え方を学び、自分のできる範囲で、受け止め、
それを自分の生き方の中に取り込んで道を切り拓いていくということです。

山にトンネルを掘るには、焦らず、しかも努力を惜しまず、
たんたんと生きよという心の教えを使います。
谷に橋を架け、道を切り拓くには、自分ひとりの力でなく、
支えてくれる多くの人がいるからです。

そんな人からの助けを感謝して受け止め、
多くの助けをいただきながら、困難の谷を渡っていくことを忘れないでいます。

そしてその道に、相手を思う気持ちと、相手の幸せを願う気持ちを持ち、
その気持ちを道の両脇に花として植えていきます。そんな道を切り拓いていけば、
他の人がその道の花を見て、心癒されていくのです。

先人の生き方を学びながら、
努力を惜しまず、感謝の思いとほほえみを忘れず、
自らの道を切り拓いていく。

やがて、幸せの泉を発見するでしょう。