ホーム > 法愛 4月号 > みにミニ法話

みにミニ法話

(264)「壁を乗り越える」

壁を乗り越えるというのは、ただ単に高い壁があって、
そこを実際に乗り越えていくというのでなく、
人生に必ず出遭う苦難や困難といった壁をどう解決し、
乗り越えて、次の一歩を踏み出していくかということです。

人生にはさまざまな壁があります。
学生であればテストや試験、あるいは
部活で大会にでていくための猛練習などありましょう。

青年になれば自分のあった仕事を見つけ、
その仕事をどうこなし、生きていくかも、大きな壁になるでしょう。
仕事で失敗すれば、そのことでさらに落ち込んで、
心が疲れ、生きる力を失うこともあるかもしれません。

晩年になれば、お釈迦様の説かれた四苦といって、
その中の生まれてくる苦しみを除けば、老いの苦しみ、病の苦しみ、
そして死の苦しみを現実として受け止め、
それが大きな壁になることもあります。

そんな壁を乗り越えていく一つの力は、
すべてが学びであるという精神です。
さらには、よく言われるように、
乗り越えられない壁を神仏はお与えにならないということです。

「そんなことがあるはずはない、あまりにも苦しすぎると思う」
そんなこともありましょうが、それは自分の生きる力を過小評価しているにすぎません。

人は生まれてくるときに、神仏から生き抜くために偉大なる力を与えられ、
この世に生を宿したのです。それに気づいて、自らの力を信じ、
苦難に前向きに立ち向かっていく心構えが必要です。

そして、そこから尊い学びをし、
なんらかの自分にとってプラスとなる体験ができれば、きっと精神的にも向上し、
後に来る者に、よきアドバイスができるようになるのです。
支え合う人間社会にとって、そのような連係プレイは大切なことです。

もし、乗り越えられない壁と思えば、その壁の前で少し休むのもよし、
あるいは遠回りして、低い壁の個所を探すのもよし、あるいは、
はしごを作って登る算段をしてもよし、
あるいは人の力を借りて、登る方法を聞いてもよし。
このようなさまざまな方法があります。

冷静に壁を乗り越える方法を考えながら、
決してあきらめず、前に進むことです。
きっと、壁を乗り越える時がきます。その壁の向こうには、
幸せの園が、きっと広がっています。