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みにミニ法話

(262)「生かされてある」

人はこの世に一人生まれ、
そして寿命がくれば一人で亡くなっていかなくてはなりません。

しかしこの世はロビンソンクルーソーのように、一人ではありません。
生まれるときも、一人では生まれてこられません。
死ぬときにも、大概の人は、誰かのお世話になって死んでいきます。
一人で穴を掘ってそこに入り、自分で土をかけて死んでいく人はいません。

人は一人では生きられないのですが、
健康で働き盛りの人にとって、小さなころ支えてくれた父母の恩を忘れ、
一人で生きているような錯覚に陥ってしまうのです。

そして、心貧しい人は、老いた母や父を粗末にし、
それを恥ずかしいことであると思わなくなってしまうのです。

一度、心静かに生かされてあることを感じ取ることが大切です。
生かされているから、ありがとうの言葉が出てくるのです。
あたりまえでない日常を悟り、生かされていることに感謝し、
ありがとうの言葉をよく使うことです。

法話の中で、
「みなさんは、うんちさんに、ありがとうを言ったことがありますか」
と尋ねてみると、そのような人にお目にかかったことは少ないのです。

うんちさんが出るというのは、ありがたいことなのです。
食べたものを消化し、いらなくなったものを、体の外に出す。
この働きを内臓さんが知らずにしてくれています。
その働きに気づいて、ありがとうの言葉を
うんちさんや、内臓さんにかけてあげるのです。
内臓さんに生かされている私たちです。
そんな境地を大切にすることです。

以前拾ってきた猫が、おなかを膨らませて、痛みに耐えていました。
交通事故か何かで怪我をし、おしっこやうんちがでないのです。
あまりにも苦しそうなので、お医者さんに連れていくと、
膀胱のところがうまく働かなくて、体のなかに
おしっこやうんちが出なくて詰まっているというのです。
さっそく一晩預けて手術をしてもらいました。
それから病気が治って、元気になったのです。

おしっこやうんちが出なければ、痛くて生きているのも辛くなります。
そんな経験をした人はわかるのですが、健康な人にはなかなかわかりません。
ほんの些細な例でしたが、こう考えていくと、数えきれないほどの支えによって、
私たちは生かされています。一つひとつ丁寧に思い起こし、
生かされていることを感じてみましょう。