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みにミニ法話

(259)「雨と一つになる」

雨と一つになるというテーマは、少しおかしなテーマだと思えるかもしれません。
この身体が雨と一つになるはずはありません。
しかし、思いの中で、雨と一つになることはできます。
そもそも一つになるというのは、迷いがなくなるということです。
迷いは心の乱れであり、一つに心がまとまっていないところからきます。

スーパーに行って買い物をするとき、たとえば、お肉を買うとします。
値段や賞味期限、どこのお肉かを調べます。
納得してすぐ買えばよいのですが、迷うのが普通です。
日本産ならば安心ですが少し高いし、アメリカ産にしようか、
中国産はどうだろうと、そこに立ち止まって考えます。
決まってしまえば、次の買い物に移動できます。

それは心に乱れが無くなったからです。
どちらにしようかという迷いがない状態を一つで表すのです。

梅雨時は雨が何日も続きます。
続きますから、洗濯ものは乾かないし、
じめじめしていて湿気が多く、暮らしにくいのが普通です。

ですから、うっとうしくなったり、心もすっきりしません。
そんなとき、「雨も良し」と思えば、そんな思いも消えて、
アジサイが雨に打たれている、そんな景色を見て、ほほえみを抱きます。
そんな迷いのない状態を雨と一つになると表現するのです。

この考え方は、よく禅宗で教えています。

家族の人と一つになる。
それは、自分のことを少しおさえて、相手のことを思うということです。
相手と一つになると言ってもいいでしょう。

特に仏教では、仏の心と一つになることを教えています。
我(が)を取り去り、自分の心を澄ませて、仏の心と一つになるのです。
そうすると、優しさがあふれてきたり、穏やかになれ、
仏様と同じような見方ができるようになるのです。

これは一日、二日ではできないことで、一生の修行として課せられることです。
みんなが仏の心と一つになれば、理想的な社会が築かれていきます。
そんな国を仏国土と、お釈迦様は言われました。

まずは雨の日、その雨と一つになってみてください。
嫌だと思っていた雨が、慈しみの雨に感じられるかもしれません。
そして家族と一つになってみることです。
さらに仏の心を探し、その心と、一つになってみることです。