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みにミニ法話

(255)「人生の意味」

人生の意味を知るためには、自分はこの世限りの人間か、
それとも、あの世があって、そこからこの世にやってきて、
今、心の学びをしている。このどちらの考えを取るかで、
大きく違ってきます。

もし、この世限りの人生であるならば、
理論的には、心を磨いて徳を積む。
そんな生き方をしなくてよくなります。


できれば生活に困らず、楽しく過ごせばそれでよい。
神様がいれば、そうなのかなあと思うくらいで、暮らせていけます。

そうではなくて、
私たちの命はこの世限りでなく、永遠の命をいただいて生きている。
この世に学ぶために天から降りてきて、さまざまな縁をいただき、
神仏に守られながら、心を磨いている。そう思うと、
まったく違った人生の意味になってきます。

仏教では後者です。

お釈迦様が亡くなられて2600年あまり、
お坊さんでもあの世のことを、確信を持って話せなくなっていますし、
あの世を否定するお坊さんもいます。

それでは、なぜ教えがあるのか理解できなくなります。
教えは、迷い深いこの世を生きていく光だからです。

お釈迦様は、生まれる前に天からこの世を見られて、
今どのような教えが必要であるのか、そのためには、
どのような人生を送ればいいのか、
そして私の教えが、どのくらい広がり、
人びとの心を正しい方向に導いていくには、
どのように教えを伝えたらよいのか。

そんなことを静かに考えられて、この世に生まれてきたのです。
この真実を、今は信じる人が少なくなりました。

何か困ったことや迷いのあるとき、
仏の説かれた光ある教えをいただき、
その教えに添って生きていけば、深くて暗い森という、
この世の生活に迷うことはありません。迷わず正しい道を歩んで、
心を磨き、人格を高め、いただいた寿命が尽きれば、
また元いた古里であるあの世の我が家に帰る。

そして、この世での体験を生かして、あの世でも多くの働きをする。
そんな世界観をもつことで、人生がさらに広がってきます。

学び多き人生を生きる。
そこに人生の意味があります。