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みにミニ法話

(252)「幸せと不幸」

幸せと不幸というのは、なかなか決めかねるところがあります。
できればいつも幸せでいたいのですが、不幸もあります。

ただ言えることは、どちらも自分自身が作っているといえるのです。
幸せを自分が作り、不幸も自分が作っているのです。

そうではなくて不幸は自分が作るのではなく、
環境や社会、あるいは親や子、あるいは会社が作っている。
そんな考えもありますが、それは甘い考え方です。

環境が整っていれば、幸せになれたとか、
もっと豊かな家に生まれたら幸せになれたのに、今は不幸だとか。
貧乏だから大学にいけなくて、今の不幸があるなど、
理由はさまざまに付けられます。

今はパナソニックという会社になっていますが、
以前、松下電器を立ち上げた、松下幸之助さんなどは、学校もろくにでていません。
発明家のエジソンでさえ、小学校もまともにでていません。
トットちゃんこと黒柳徹子さんも、学校を追い出されてしまいました。
しかし、みな成功し、私たちからみれば不幸には決して見えません。

こう考えてみると、学校も出られなかったと環境を責めて、
不幸を思っているのは、自分自身であって、それをどう乗り越えたかによって、
幸不幸が決まるわけです。どんな仕事が来ても、誠実にこなしていけば、
そこに幸せの礎が築かれていきます。どんな立場にあっても、
自助努力し、乗り越えていったとき、そこに幸せが訪れるわけです。
この意味で、幸せさえも自分で作っていることになります。

一つの出来事を幸せにするのも、不幸にするのも、自分自身であって、
他の人ではないと知らなくてはならないのです。

また、どんな出来事であっても、必ず乗り越え、
幸せの果実を作っていけるだけの能力を持って、私たちは生まれてきました。
よく言われることですが、「自分に成しえない困難は、神様はお与えにならない」のです。

その真実を信じ、どんな場面に直面しても、それを真摯に受け止め、
努力して乗り越えていくところに、不幸を幸せに転じていけるわけです。

自らの力を信じ、自分の責任で、不幸を転じて幸せを作りだしていくことです。