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みにミニ法話

(239)「本当の価値とは」

価値というのは、役に立ったり、良いと思われるものです。
良いと本人が思えば、それが価値あるものでしょうが、
個人でそれを見極めるのは、大変なことです。

たとえば、鑑定団というテレビ番組があります。
壺とか掛け軸とか絵などを持ってきて、それが偽物か本物かを見分け、
本物であったなら、高い値段が付くわけです。

私も時々見るときがありますが、
なかなか本物を見定めるのは、大変であると思います。
特に掛け軸など、印刷であったり、
偽作(ぎさく)だったりするのが分からなくて、
持ってきた本人が偽物と知ると、非常に残念な表情になります。

本物であれば価値があるのですが、
本物と偽物の区別がつかなくて、偽物を本物と間違え、
それを価値あるものとして、長年大切にしてきたという人も
かなりいらっしゃいます。

掛け軸なら、それに精通した人は、
その価値が分かるのですが、精通していなければ、
本当の価値が分からず、長く保管しながら、
偽物か本物かという心の揺れを止めることができないでいると思います。

今月のテーマでも「本当の価値とは」ですから、
それを見極めるのは、大変難しいのです。

価値あるものは、私たちの幸せに通じていくものです。
幸せになるためのものは、お金など生活の安定につながるものでしょう。
しかし、よく言われることは、お金がたくさんあっても、不幸な人はいるし、
お金がなくても、幸せに暮らしている人もいます。

ですから、価値あるものとして、お金などの財産は、
それに値(あたい)するものでしょうが、
「本当の」という言葉が上に着くと、どうも違うようです。

心の法則に「与えると与えられ、奪うと失う」という教えがあります。
ほほえみを与えればほほえみが帰ってきます。
相手の思いやりばかりを求めていくと、やがて相手から信用を失い、
人は離れていきます。

この教えを自分のもとして生きていけば、
どうも幸せになれそうです。
こんな心の教えこそ、本当の価値あるものいえます。

どうぞ、人として正しく生きる教えが、本
当の価値を含んでいるのだということを、少し考えてみてください。