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みにミニ法話

(237)「死後の輝き」

難しい演題ですが、
まず生きているうちに、立派なことをしておけば、
亡くなっても、その人ことが称えられ、
輝き続けるということが一つあります。

もう一つの考え方は、
自分自身に照らして、生きているうちにしっかり生きていれば、
「ああ、よく生きたなあ」と、自分自身をほめることができる
ということがあります。

この場合、死後、何も無くなってしまえば、
そんな思いになることはできません。
死ぬ間際に、一生を回顧して思うことはできますが、
死後の世界がなければ、こんな思いになることは、極めて難しいことです。

しかし、死後の世界が実際にあって、
死んで後、自分の今までしてきたことを、ゆっくり思い返し、
あの時、苦労したけれど、よく乗り越えてきたと、
静かに思い返せる自分がいたとすれば、
死後の輝きを自分自身で感じ取ることができます。

浄玻璃の鏡というものがあって、
人は亡くなると、必ず自分の一生を映画のようにその鏡に映しだされ、
反省をさせられるといいます。

人生には大きな波や小さな波があって、
さまざまな人の支えを得ながら、乗り越えていきます。

大きな波が来た時に、一生懸命、
負けないで乗り越えようとする生き方を死後に映像で見れば、
きっと一緒に見てくれている人も、称えて喜んでくれることでしょう。

それを人のせいにして、いつまでも文句ばかり言い、
その苦労から逃げていれば、決して輝いた生き方でなく、
人はその映像を見て、目をそらすはずです。

死後の輝きを得るために、今の自分の生き方が、
死後みんなの前で見せられるという真実をしっかり受け止め、
今生きているうちに、正しい生き方をすることです。

死後、もし自分の人生の輝きを見ることができたなら、
こんなに嬉しいことはありません。その喜びは何にも代えがたいものです。

さらに、もう一つ大切なことを言い添えると、
生きているときに、「人に役立ちたい」と願い、
神仏に祈っている姿は、必ず死後の輝きを増すということです。