ホーム > 法愛 4月号 > みにミニ法話

みにミニ法話

(234)「道を切り拓く」

山林に道を開けるには、人の手や重機などを使って、
木を倒し、切り株を除き、人や車が通ることができるように平らにし、
谷があれば橋をかけて、道を切り拓いていきます。

同じように、人生という道を切り拓いていくにも
容易(たやす)いことではありません。

人生という山林には、多難な事がたくさん起こってきます。
そんな木や切り株を除いて、自分自身の道を開いていかなくてはなりません。

その時、他の人の意見や忠告の言葉、
叱責にも似たような指摘を真摯に受け止めて、
道を切り拓く糧にしていくことが大事になります。

一年に一度、私の宗派の本山から布教師さんが来て、
お話をしてくださいます。

そのとき話し終えて、話の内容について、意見を言うことがあります。
それは布教師さんが、もっと学びを深めていただきたいためにいうのですが、
どうもおせっかいのように思っているようで、このごろは言わないようにしています。

私自身以前、同じように全国を回って
お話をして歩いていたことがありました。
そのときあるお寺の和尚さんから、3点ほど、
話し方について注意を受けたことがありました。
今でもありがたく思っています。
それは布教師という道を切り拓くために、私としては尊い教訓でした。

つい最近、20代の女性で学生ですが、
半年ほどまえに、初対面の先生にお説教をされて、
納得できなという悩みのある女性のことが、ある新聞に載っていました。

その内容を読むと、
初対面でも礼節の足りない所を教えてくれているその先生は、
ありがたい存在だと私には思えます。
なぜならば、人生の道を切り拓いていくためには、
なくてはならない生きる糧だからです。

人生には谷もあり、岩場もあります。
谷にあたるのは病気であったり不幸な事故であったりします。

そんな場合でも、そこに橋を掛けて、
道を切り拓いて前に進んでいかなくてはなりません。
他の人の忠告や影口さえも、自分の道を切り開いていく、手段にしていかなくては、
到底、困難な人生に道を開いていくことはできないわけです。

そう念じて、自分の人生の道を切り拓いていきます。