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みにミニ法話

(217)「教えの園に住む」

教えとは血液のようなものです。

この肉体は血液がないと、生きていけません。
それと同じように、教えも本当はいつも聞いて、
心にその教えを流していないと、
心がしぼんで枯れてしまうのです。

でも、肉体のように血液がないと死んでしまう
というのが明らかに分からないので、教えを聞いて心を正し、
人としてしっかり生きていこうという気になれないわけです。

盗んではいけない、という教えがありますが、
それを聞かず、盗みをしたとします。
すると心が痛み、生きていけないのが普通です。
良心が苦しんで、心が痛くてたまらないのです。

でも、教えをずっと聞かないでいると、
良心が深く土の中に埋もれたようになって、
心の痛みを感じられなくなるのです。

言い方を代えれば、
心がしぼんで枯れてしまっている状態なのです。
ですから、盗みをしても痛みを感じなくなるのです。

この盗んではいけないというのは、初歩の教えです。
仏教では心の清らかさをとても大切にします。
心を清らかにすることで、清らかな世界のようすが感じられ、
見えるようになります。

清らかな世界とは神仏の思いであり、神仏の考えであり、
神仏がお住まいになっている世界のことです。

清らかな心になることで、そんな神仏の世界に見えてきます。
この心を清らかにする一つの方法が、正しい教えを聞くことなのです。

教えを聞いて心を正すことで、心が清らかになり、
神仏の世界が見えてきます。
それは幸せの園にいるがごとく、実に喜び深いものなのです。

「他のために、心優しくあることが大切です」
という教えを聞き、常に血液のように心に流していると、
そのような人になっていき、それが心を清からにして、
悪を押しとどめ善を行っていく力にもなっていきます。

教えを聞き学んでいくことは、努力がいります。
その努力を惜しまず教えの園に住んでいるように、
教えの花を見ながら、幸せに生きていくことを
お釈迦さまは心から願いました。

どうぞ、これからも教えの園に住み、
教えの花を楽しみながら、私自身の花を咲かせていきましょう。