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みにミニ法話

(195)「清浄心」

清浄心とは、きれいで汚れのない心をいいます。
この世に生れて、心が清らかでいられるのは、とても難しいことです。

いつのことだったか忘れましたが、静かに心を顧みていると、
一瞬ではあったのですが、自分の心が泥と瓦礫の山のようになっていて、
「こんなに私の心は汚れているのか」と驚きをもって、感じたことがありました。

何が原因してきたのだろうと思い、反省をしていたのです。

反省は心を洗う一つの方法です。
きれいな雑巾で、床をふくと、床がきれいになります。
そのような力が反省にはあるのです。

しかし、ちょっとやそっとで、汚れた心を洗い、きれいにすることはできません。
心を汚れさせる元は、不平不満であったり、怒りであったり、欲深な思いであったり、
人を信じられなくて疑ったり、人の幸せを妬んだり、悪口をいったりと
たくさんでてきます。
これをマイナスの思いとします。

私自信、結構そんなマイナスの汚れた思いに心を任せ、
生きてきたことの反省をさせられました。

ですから、まず初めに、今いったような思いを常々出してはいないだろうかと、
気がつくことが大切になります。

今まで生きてきて、
どれほどこのマイナスの思いを出して生きてきたかを知ることが必要です。
何事も知って初めて、「これはいけなかった」と思えるわけです。

人の心はもともときれいで、真綿のように柔らかくまあるいものなのですが、
この世の荒波にもまれていると、そんな心が汚れ、見るも無残な状態になってしまうのです。

汚れた心をそのままにしておいては、苦しみの多い人生を送らなくてはなりません。

お釈迦様は、蓮の花のように、
泥の中からでも、きれいな花を咲かせなさいと教えられました。

この泥の中が、この世の世界です。
普通に生きていても、その泥で心が汚れていきます。

常日ごろから、マイナスの思いを「これはいけない思いであった」と感じ取り、
一つでも除いていく生き方が大切です。

そうして、清浄な心をえると、その心から自分というきれいな花が咲いていきます。