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みにミニ法話

(191)「神仏のこころ」

神仏のこころあるいは神仏の思いを知ることは極めて難しいことです。
神仏を信じない人にとっては、まったく関係のない話かもしれません。

しかし、神仏は確かにあって、私たちを見守っているのですから、
見守っている方の心を知ることは大切なことです。

まず一つ言えることは、神仏は私たちの平和を願っているということです。
私たちが幸せに暮らせるよう、見えない世界で実際に働いているということです。
それも無償で働いています。それが神仏の心です。

私たちは、生活していくための物資を、お金を出して買います。
そのお金は働いていただかなくてはなりません。

十働けば、それなりのお金をもらえます。
そんな日々に慣れてくると、無償で働くということに、戸惑いを感じることでしょう。

この世で無償で与えることのできるものは、
やさしい言葉であり、感謝の思い、おもいやりの心です。

そのことを大切に思って生きていると、
神仏の心が少し分かってくるのではないかと思います。

与えることで人が幸せになっていく。その姿をみて喜ぶ。
これが神仏の思いではないかと思うのです。

神仏は幸せになってほしいと常に私たちに働きかけていますが、
真実に気づかせるために、苦難を与えることもあります。
悲しみを与えることもありましょう。

その苦難や悲しみは、ないほうがよいのですが、
それを自らの生き方の気づきとして受け止めると、
人間として成長していくのが分かります。

平々凡々として何事も起こらなければ、人は成長しません。
苦難があったなら、「神仏はここで何を学べといっているのか」と、
自らに問うことが大切だと思います。

もう一つ、神仏と交わるためには、祈りが必要です。

祈りにはきれいな心で、神仏と相対することが原則です。
そんな心で祈れば、必ず神仏は願いを叶えてくださいます。

もし叶わなければ、神仏を裁くのでなく、
まだ努力が足りないと自分を戒め、謙虚に努力することです。

きっと神仏は、その姿をみて涙を流し、
きっといつの日か、善なる方向へ、私たちを導いてくだるでしょう。