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みにミニ法話

(185)「心を耕す」

4月に入ると、ずいぶんあたたかくなって、
畑をお持ちの家庭では、土を耕す作業が始まります。

耕すことで土を柔らかにし、さまざまな野菜の種や苗を植えます。
耕すことで空気も入り、肥料なども馴染みやすくなります。

固い大地では育たないような野菜も、
柔らかな土壌で大きく育ちやすくなるわけです。

しかし、耕すには力がいりますし、時間もかかります。
努力しないと、大地を耕すことはできません。

心も大地に似ていて、耕さないと固く、
そこにはどんな考え方も根付かなくなります。

根付かないというのは、
片寄った考え方をし、狭い人生観の中を生きることになります。
それは心の小さな人として、人格の薄い、
人に迷惑ばかりかけてしまいそうな生き方につながっていくでしょう。

そうならないために、まずすべき事は、
さまざまな出来事を、自分が学ばせていただく出来事として受け入れ、
それを自らの学びとして消化していくことにあると思います。

たとえば苦しみがあったなら、そこから逃げないで、
自分はこの苦しみのなかで何を学ばなくてはならないか、
と自らを省みるわけです。

それが心を耕していることになります。

学ぶべきことが見付からなくても、
その苦しみをじっと耐えて日を過ごすことも、
心を耕していることになります。

苦しみは10年も20年も続くことはありません。
長くても半年と思い、耐え忍ぶことです。

やがてそんな生き方のなかから、何かを発見するでしょう。
心を耕し続け、心の大地に人格の芽吹きを感じられるときです。

さまざまな出来事を学びとして受け取る、
それが心を耕していることになるとお話しいたしましたが、
さらには、心の教えを日々学んでいることが心を耕していることにも通じていきます。

さまざまな正しい教えで、心の大地を耕していくのです。
そうすることで柔らかな心に変わっていって、
さまざまな出来事を、その教えにそって考え、
解決していける力を、心に持つ事ができるようになります。

そのためには努力が必要です。
時間もかかります。

絶えず、学びの精神を忘れずに、心の大地を耕す生き方をすることが大切です。