ホーム > 法愛 4月号 > みにミニ法話

みにミニ法話

(183)「苦難との闘い」

この時期はいつも苦難についてのお話が多くなります。

考えてみると、信州では2月に雪が積もり、
お寺の裏山の竹が雪の重みで倒れたり、
松の枝が雪の重みで折れそうな風景を見ているからでしょう。

竹には節があって、その節のゆえに、強く立っています。
湿りけの多い重い雪は竹にとっては難敵ですが、
普段の雨風には左右に揺れながら上手に立っています。

それを人の生き方に当てはめてみれば、その竹の節に当たるのが、
人生の中で苦難と闘い、乗り越えてきた所にあたるのではないかと思うのです。

苦難と闘い乗り越えた分、
人としての強さが培われ、ねばり強く人生を生きていけるのです。
その意味で、苦難は人としての節をつくってくれるものといえます。

さらに考え方をかえて、この苦難を見ると、
自分に弱点があるから、その弱点をねらって苦難が襲ってくると思えます。

たとえば、腕が細く重いものを持ち上げることのできない力しかなければ、
重いものを持つのには苦しみが伴います。

でも普段から腕を鍛えて重いものを持つ訓練をしていれば、
以前持ち上げられなかった重いものも、軽く持ち上げられることができ、
そこには苦しみはありません。

人生でも同じことがいえます。

苦しみは大概、心の弱さからきています。
苦しみを持ち上げられない弱き心ともいえます。

たとえば「欲しいけれども手に入らない苦しみ」があるとします。
その場合、「足るを知る」という考えを普段から持ち、心を養っていれば、
自分の過度な欲望を押さえられるので、「欲しい、欲しい」という
心の弱さからくる苦しみは少し減るでしょう。

ですから普段から、腕の筋肉を鍛えておくように、心を強く鍛えておくことです。

心の鍛え方は、正しい教え、考え方を、日頃から学んでおくことです。
そして苦難が来たとき、その正しい教え、考え方で戦うのです。

この意味で正しい教え、考え方は、ひとつの武器といってもいいでしょう。
そのように人はこの武器で戦いながら、苦難を乗り越え、人格を磨いていくのです。