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みにミニ法話

(179)「何のために学ぶのか」

学びにはいろいろありますが、基本的には読み書き計算があります。
これは、この世で生きて行くために、なくてはならない学びです。

後進国では、まだ字の読めない人がたくさんいますが、
字が読めるというのはありがたいことなのです。 

アメリカの大統領になって奴隷解放に力を尽くしたリンカーンは、
小さいころ一年ほどしか学校へいっていません。

「学校などいく必要ない」という父を説得した義母、サラのおかげで、
学校へ通うことができたのです。

一年間という短い間であってもリンカーンは字が読めるようになりました。
サラの持っていた本や、人から読みたい本を借りて、よく本を読んだといいます。

もし、学校へいくこともなく、そのため字が読めなければ、
リンカーンが大統領になる道はさらに険しいものになったことでしょう。

本を読み、そこから多くの知識を得るために、字を読めるようにする。
これは大切な学びです。

またこの世でみんなが幸せに暮らせていくためには、
礼儀やマナーも学んでいかなくてはなりません。

マナーは家庭で、親が子どもに教えるのが基本ですから、
大人がまず社会のルールを守り、それを子に教え、
社会の平和を築いていかなくはなりません。

そのために礼儀作法を学びます。

さらに仕事からの学びや、人間関係、
あるいはさまざまな体験から学ぶこともあります。
それが心の肥やしになっていきます。

この世には多くの学びがありますが、その学びの根本のところに
「人としてどうあるべきか」という目標がなくてはならないと思います。

人として多くを学び、人格を向上させ、
できればその力で社会に貢献できる人となっていく。
この精神が学びの原点にあるというのが大事になると思われます。

その意味で、学びは生涯続き、終わりはありません。

「死ぬまで学びである」とよく言われることですが、
常に学びを深めようという戒めを持ち、人としての道を究めていくことが、
また、充実した人生を手に入れる方法でもありましょう。