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みにミニ法話

(175)「禅の言葉」

禅にはたくさん教えの言葉があります。

その言葉はストレートに教えの意味を語るのでなく、
何かにたとえて、真理を伝えるという方法を取ることが多いといえます。

禅の最も大切にしている考えのひとつに仏性(ぶっしょう)という教えがあります。

仏性とは仏という字と、
もって生まれた気質の意味を表す性質という言葉の性(せい)という字を重ね、
性を「しょう」と読んで、仏性と著します。

仏の性質が私達の本来の姿であるということです。

古来から「自分とは何か」という問いが、投げかけられてきまましたが、
その答えが「私達は仏と同じ性質を持つ存在である」というのが禅の答え方です。

その禅の言葉の中に、
「風吹けども動(どう)ぜず、天辺(てんぺん)の月」
というものが出てきます。

動ぜずは、動かないという意味で、
天辺とは天の辺(ほとり)と書きますから、天の上と書いて、天上という意味です。
ですから、「強い風が吹いても、天上の月は微動もしない」となります。

実際に天の月は風が吹いても、びくともしません。穏やかに空を流れていきます。
この月が仏性にたとえられているのです。そして風は煩悩にたとえられています。

この「風吹けども動ぜず、天辺の月」という禅の言葉の中味を解けば
「私達の内にある仏と同じ素晴らしい心は、
怒りや不平不満などの煩悩には決して汚されず、左右されもしいものだ」
という意味になります。

まずは、そのような仏性が「私の心にのうちにある」と見極めることです。
発見することです。

そして発見したら、それを育て大きくしていくことです。
大きくしていくことによって、怒りや不平に左右されないものになっていくわけです。

私たちの心のうちにある仏性とは、別な言葉で言い表せば
「やさしさや思いやり」「穏やかな思いや、感謝の心」「勤勉な心や努力しようとする心」
などあげられます。

たとえば、私の心に「やさしい気持ち」があったとまず発見し、
発見したら、そのことを強く実感することです。

そしてその思いを、どんなときでも使えるように努力していく。
それが仏性を育てていることになります。

やがてその「やさしさ」は、
どんな怒りの風や不平の風が吹いても、汚されない力を持つようになるでしょう。