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みにミニ法話

(151)「悟りの本質」

悟りと聞くと、とても難しくて、
私にとって違う世界のものだと思われる人もいるかもしれません。

悟りとはもともと仏教の中心にある考え方で、
「悟れる者としての覚者、すなわち仏陀に、私も、あなたもなれる」
という思想です。

この考えはお釈迦さまが活躍した当時インドの地においては、
カースト制という差別社会があった中なので、画期的なものであったようです。

生まれやその人の能力、また容姿などを問わず、
誰でもが悟りを得ることができるという考えは、
今でも仏教の積極的な面として、大きな力があります。

悟りとは「自己の霊格が高まり、自らの使命や目的、
また他の人々の使命や世界の神秘を知る」というところにあります。
手に取るように「知る」ということです。

それゆえに悟れるものは、自らの悩みや苦しみを解決でき、
より多くの人のための幸せのために働けて、
常に幸福感が心を満たしている状態といえます。

このような状態になるためには、多くの時間をかけなくてはなりませんが、
小さな悟りであるならば、誰しもが体験したことがあると思います。

まずはその小さな悟りを一度でも多く体験しながら、
常に悟れる自分を作り上げていくことが大切になります。

小さな悟りを具体的にいえば、病気をしたとき
「みんなにこんなに支えられている私を発見した」ならば
それは、ひとつの悟りといえます。

相手の醜さばかり見ていた私が、あるとき「おはよう」と小学生に笑顔で言われ、
その小学生の笑顔に素晴らしさを見た。これも小さな悟りです。

心がイライラしていたとき、美しいアジサイの花を見て、
心が穏やかにすがすがしくなった自分をみつけた。これも悟りでしょう。

これらはみな生まれに関係なく得られるものですし、
喜びをともない、自分や他の人から、何かを発見し、知ったということです。

このように小さな悟りを地道に積み重ねていくと、
大いなる真理がしだいに見えてくるのです。