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みにミニ法話

(145)「仏の心とは」

仏の心でまず知っておかなくてはならないことは、
その心が山のかなたにあるのではなくて、私たちの心の中にあるということです。

その心を学び、自らのものにしていったとき、
自分で自分の悩みや苦しみを解決でき、さらに他の人の悩みをも解決できて、
多くの人の幸せのために生きることができるのです。

そのプロが仏教的に言うと、菩薩や如来であり、
他の宗教の言い方をかりれば、天使ということになると思います。

このようなことを聞くと、
私にはそんな尊い生き方は到底できないという思いが起こってきますが、
その理想に向かって努力しているのが、私たちの人生です。

しかし、この仏の心を得るためには、
この世限りのひとつの人生では到底成しえないことでもあります。

その意味で、永遠の生命をもち、仏の心に近づこうと努力しているのが、
私たちの真実の姿であるわけです。

こんな投書がありました。
「約束」という題です。元中学の校長先生が書いたものです。

仏の心にはさまざまな面がありますが、
そのひとつに約束を守るということがあります。
このひとつのことが、相手を感動させ、正しく生きる力を与えるのです。

この約束という投書からきっと、仏の心を感じとることができましょう。
今月はこの投書を読み終わりとします。

「約束」

土砂降りの雨。
急に暗くなった空を稲妻が引き裂き、雷鳴が校舎を奮わせた。

一学期、期末考査の土曜の午後、私ひとりが職員室に残っていた。

廊下の昇降口で音がした。
髪からぼたぼた滴を垂らした少女が、びしょぬれで息を切らせて立っていた。

なんと、私の担任の一年生。
「どうしたっ!」唇を震わせ「頼まれた手紙、教室に忘れて・・・」。
しぼりだすように言う。

下校時、彼女の隣人あてに託したのだ。
大事な文書だと言って。

「ああ、すまん。すぐでなくてもよかったのに。だのに、この嵐の中を」

必死で耐えてきた顔がわななき、わー、と手放しで泣き出した。
涙が顔を伝わった。

「でも、・・・約束だもん」
しゃくり上げ、「約束」を繰り返した。

こんな純粋な泣き方を初めて見た。

途中で突然の嵐に遭い、
稲妻と雷鳴の中を必死で一里、4キロの道を駆けて来た切なさ、悲しさ。

「約束したんだもん」は以後45年、私の心に残っている。

(ア 平成16年4月11日)