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みにミニ法話

(138)「人生の問題」

人生にはさまざまな問題があります。

自分個人が解(と)かなくてはならない問題もあり、
その問題は他の人とはたぶん違っているでしょう。

そのとき「この問題は自分が解くのだ」と見極める知恵が必要です。
自分の問題ではなく、他の人の責任にしたり、環境の責任にしていては、
いつまでたってもその問題は解決しません。

私たちは偶然にこの世に生まれてきたのではありません。
多くの学びをするためにこの世に生まれてきたのですから、
自分に一番あった学び方があるわけです。

それは自分が一番、学べる問題を与えられているということでもあるわけです。

たとえば足し算をするときに、
その練習のために、割り算をする人はいないでしょう。

足し算をするために一ケタの足し算の問題を何度もし、
慣れてくると二桁三桁と難しくしていって、
やがて足し算の問題なら間違いなくできるようになるわけです。

人も同じです。

感謝の学びをする人、勇気の学びをする人、
負けない心や前向きな心、優しさや思いやりの心を学ぶこともあります。

心を深くするために、その人に一番あった方法で、
何らかの人生の問題が与えられるのです。

足し算と比べると、人生は非常に入り組んでいて捉えにくいので、
自分が課せられた問題から、何を学び取っていったらよいのかが分からなくなるときがあります。

そんなときには「何故こんなに苦しい思いをするのかとか、なぜ私だけがみじめな思いをしなければならないのか」と迷路にはまって、さらに問題を難しくさせていきます。

真理は簡単なところにあります。

迷路にはまって行き先が分からなくなったとき、
「これは私が今、愛を学ぶためにある問題だ」と思えば、
人生の問題は大きくははずれてはいないでしょう。

マザーテレサが死後6年で歴史上最も早く、
「聖人」の前段階の「福者」に列したという報道を聞きました。

福者は徳ある人に与えられるといいますが、
普通この称号を得るのに、亡くなって数十年かかると言われています。

彼女がこの福者に列したのは、愛に生きたからです。
あのすさまじい生き方のなかに、愛に生きた人生があったのです。

私たちもみな愛を学ぶために、さまざまな問題をいただいているのです。
自分が行き詰ったとき、「今、愛を学んでいるのだ」という、
見えないものの声を聞いてみてください。