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みにミニ法話

(109)「きれいに散る」

秋になるとカエデの葉が黄色や赤に染まってとてもきれいです。銀杏の葉の澄んだ黄色も、とても美しく思います。

そんな葉もやがて散っていきます。落葉を見ると、切ない思いになりますが、美しく散っていく葉を見ていると、「ああやって、きれいに散っていきたい」と思うものです。

人もやがて散っていきます。誰しもが逃れられない定めです。そんな定めを素直に受け入れ、どうきれいに散っていけるかを考えなければなりません。

職業柄多くの人を送ってきましたが、そんなさまざまな体験からきれいに散っていくために必要なことがたくさんあると思います。そのなかで二つほど挙げてみます。

一つは信仰心です。自分自身が先祖を尊び、また神仏を信じて、敬虔に生きている人は、安らかな死を迎えます。赤い葉が風に吹かれて舞い落ちるように、ごく自然に逝けると思われます。また、信仰心の豊かな家庭は、あたたかさがあふれているものです。

今は宗教を捨て、家族葬などという葬儀も出てきていますが、信仰心のない葬儀は、あまり感心しません。神仏のみ心に帰るのだと思いながら日々を過ごし、謙虚な思いで、お仏壇に手を合わせる日暮が尊く思われます。そんな人が、この世をきれいに咲いて散っていけるのだと思います。

もう一つは人のために生きた人です。自分のための時間も大切ですが、その時間の何割かを人のことを思い、実際に行動にうつして生きていると、逝く最期のとき、悔いが少ないのです。

なぜでしょう。答えは、そういうふうに人間はできているからです。仏教ではそれを仏の性質であるとして仏性(ぶっしょう)という言葉で表しています。

その仏性をよく体現し、生きた人は、美しく紅葉して、散っていけるのです。

そういえば、人の心を楽しませてくれる紅葉の美しさは、神仏の姿を見ているようです。自分の心にも、それと同じ力があると信じ、仏性を美しく染め上げて生きていきましょう。