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みにミニ法話

(94)邪見をとめる

お釈迦様の基本的は教えの一つに「邪見を廃せ」というものがあります。
邪見とは誤った見方をいいますから、誤った見方はしてはいけませんよということになります。

どのような見方が誤ったよくない見方なのでしょうか。

それは因果の理法を信じない見方をいいます。因果の理法とは、善いことをすれば善い結果になり、悪いことをすれば悪い結果を招きますよ、ということです。

この考え方を信じることなく生きている人は、邪見の人であるというのです。
善いことをしても悪いこともあるし、悪いことをしても、善いことがある。そう考えることが邪見です。

悪いことをしても見付からなかったら、善い結果になる。そんなこともあるではないか、と思われる人もいるでしょう。

昔、三億円を盗んで、時効になった事件がありました。時効になったので、もう罪は問われません。「ああ、悪いことをしても見付からなかったら、しめしめだ」と思ってしまいそうです。

しかし人はこの世限りではありません。この世を終えれば、あの世の世界があります。生きとおしの命を持った私達です。ですから、この世でいくら悪いことをして見付からなくても、あの世の世界で、この世の悪が裁かれるわけです。

きっと三億円を盗んだ人は、あの世にいって、その罪を問われ、苦しみの多い償いをしなくてはならないでしょう。因果の理法は、この世限りのものでなく、あの世を貫く法則なのです。

この世においても人はみな良心を持っていますので、悪いことをすれば良心が痛み、幸せな日々を送ることはできないでしょう。その意味で三億円あっても、心にやましい思いがあれば、良心の呵責にずっと悩み続けなくてはなりません。

基本的な心の法則、善を積めば、やがて善なる結果が来る。悪を積めば、悪なる償いが待っている。 これを正しく使えるような見方、考え方を心がけるべきでしょう。