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法話

人としての成熟さ 1 成熟さということ

今月から「人としての成熟さ」という題でお話を致します。

このお話は平成30年3月29日、
法泉会という法話の会でお話ししたものです。141回目のお話でした。
8年ほど前のお話なので、少し手直ししながら、進めていきます。

成熟の意味

人として成熟するためには、
こんなふうに生きていったらいいのかなあという、
そんなお話です。

結論を先に言えば、
「成熟していったその姿が、
 神様や仏様と同じような領域に一歩でも近づいている」
というのが、人として成熟している姿ではないかと思います。

成熟という言葉を辞書(『広辞苑』第六版)では
「穀物や果物が十分みのること」
「人間の体や心が十分に成育すること」あるいは
「物事が最も充実した時期に達すること」とあります。

今回の演題からいえば、
「心が十分に成育する」というところを力点にしていきたいと思います。

肉体と心

この肉体、体のことですが、
肉体の成熟度が高いのは、20才前後ではないかと思います。

スポーツ選手でも、10代から20代の活躍が目覚ましく、
お相撲さんでも30才代で、引退してしまいます。
相撲力士の遠藤も、昨年11月に
体のさまざまな損傷によって引退を余儀なくされています。

近頃思うことですが、ときどき孫たちが来ると、
「言うことも聞かず、自由に動きまわる孫たち。
 その姿を見て、子を育てるのは、若い時でないと無理だなあ。
 この老体での子育ては無理、無理」
ということです。

できればですが、私たちが亡くなる時に、
精神的な面、心といってもいいのですが、
その心が最大の成熟をして、亡くなっていきたい。
そんな気持ちがあります。

誰しも肉体は衰えていきます。
同じように、心も人としても衰えていく。
そうではなく、肉体は衰えていくのですが、
精神面、心自体は成長し成熟していくという、
それが理想の姿ではないかと思うのです。

物ごとが最も充実しているというのは、
重要無形文化財保持者として人間国宝になった人たちでしょう。
そんな方々がたくさんいらっしゃるようです。

その人たちは一つのことを極めた人たちで、
その人の姿や振る舞いが神々しく見えるときがあります。

映画になった「国宝」を見に行ってきました。
この「国宝」は吉田修一氏の小説を原作とした作品で、
歌舞伎の世界に身を投うじた波乱万丈な人生を描いた物語です。

主人公の立花喜久雄(吉沢亮)が、
無形文化財としての人間国宝になっていくのです。
その中で、歌舞伎の美しさや華やかさ、
その裏にある厳しさなどが表現されていました。

人間として成熟していく姿は、
この映画ではとらえにくかったのですが、
歌舞伎の世界で成長し、女形として才能を開花していく姿は
よく表現されていました。

最近、人間国宝になった義太夫節三味線の演奏家、
鶴澤津賀寿(つるさわつがじゅ)さんを知りました。
女性の方ですが、義太夫節に合わせて弾く三味線は、すごいと思いました。

鶴澤さんが言っていたことでとても印象に残っているのは、
「初めての人が三味線を持ったり、それぞれの振る舞いを見ると、
 その人の日頃の生き方がわかる」
と言っていたことです。
心の成熟さを持っていないとできない洞察です。

一芸に秀でるばかりでなく、
その芸に合わせて、人としての成熟さを育てていく。
そんな生き方がすぐれているのではないかと思います。

私たちも、一芸に秀でていなくても、
充実した人生の中に、心の成熟さを育てていくことが大事ではないかと思います。

修行僧堂でのこと

少し私の修行僧堂でのことをお話しします。

「石の上にも三年」という諺があります。
冷たい石の上でも3年のあいだ坐り続ければ、
冷たい石もあたたまるということから、
がまん強く努力していけば、必ず成功するという意味です。

私と一緒に僧堂に入った人で、
道(どっ)さんという人がいました。
不慮の事故で亡くなってしまいましたが、その人の努力の姿です。

彼は先生をしていたようで、
お寺の事情で28才のころに僧堂に修行に来たのです。
彼にとっては厳しかったようで、あるとき僧堂を抜け出して、
電車で自分のお寺に帰ろうとしたのです。

静岡駅に行って、新幹線に乗ろうとしていたら、
ちょうど不通で止まっていたのです。
駅内をうろうろしていると、駅員さんが、
修行僧堂の雲水(うんすい・修行している僧のこと)さんではないかと、
僧堂に電話してきたのです。

僧堂では、道さんがいなくなっていたので、すぐ迎えにいきました。
もしこのとき、新幹線が動いていたら、どうなっていたかと。
今でも縁の不思議を思います。

僧堂に呼び戻されて、師匠であるお父さんが来られて、
今後のことをいろいろ話していたようで、
このまま少し様子をみながら、修行することにしたのです。

彼が大変だったのは、坐禅でした。
足が硬くて、半跏趺坐(はんかふざ)といって、
片足を他の足の股(もも)の上にのせてする坐禅さえ、足がのらないのです。

それでも無理やりのせて、それが痛くて痛くてたまらず、涙するのです。
泣きながら鏡の前で坐を組んで練習している姿を、今でも思い出します。

でも、彼が3年ほどすると平気で坐っているのです。
努力して続けていくと、坐を組めないと泣いていた人が、
きれいに坐を組んで坐る。

何事も努力していくと、成熟するという結果が現れてくるわけです。

自分の我を取る

人生にも色があるのでしょうか。

禅の修行では、雲水を指導してくれる老師(ろうし)から
公案という禅に関する問題をいただくのです。
それを坐禅しながら考え、その答えを老師に持っていきます。
その公案の進み方が道っさんのほうが早いのです。

あるとき、
「どこまで公案が進んでいるんだ」と聞くと、
「この辺の公案をやっているよ。
 あんたがやっている公案、とっくにすんだよ」
といいます。
私がやっている公案よりずいぶん先をやっているのです。

後になって考えてみると、彼のほうが素直なのです。
素直に答えを導き出しているのです。

私は理論的に「ああだこうだ」と難しく考えているので、
老師に「そんな説明ではだめだ」と叱咤され、正しい答えがでないのです。

禅の成熟さは、理論的ではなくて、
自分を無くし、自分の我を無くして、
大いなる存在、仏なる存在と一つになるというのが、
禅の成熟さを高める方法なのです。

大いなる存在と一つになると、
本当の自己との出会いや、仏の美しい世界が見えてくるのです。

臨済宗妙心寺派の26代の管長になった山田無文という老師が
若い時、結核になりました。

そのとき、病気がうつるからといって、みんなが近寄らず、
嫌われ者になったと失望しかけているときです。
ある朝、縁側に出て休んでいると、
涼しい風が、老師をきらうことなくやさしく通り過ぎていきます。
そのときの感動を唄にしました。

大いなるものに抱かれあることを
       けさ吹く風の涼しさに知る

老師が大いなる者と一つになった境地を詠ったものです。
その体験を得て、結核が完治していったといいます。

このような境地は、修行の3年間では得られず、
最近少しわかってきたというのが正直なところです。
私にとって、まだまだ禅の成熟度は薄いのです。

人生のつらさに立ち向かう

お話した道さんのように、苦しくてつらい時を何とか乗り越えていく。
その精神が、自らの心を成熟させていく力になるのではないかと思います。

誰でもつらくて死にたい、逃げ出したいときがあるでしょう。
そのつらさが、寒さを耐えてできた年輪が、その木を強くするように、
人を強くしていきます。

次の詩で学んでみます。
71才になられる女性の詩です。

泣きながら笑いながら

辛さに耐えられなくて
記憶のすべてを
なくしたいと
思ったことがある
けれど
今も過去も
そして未来も
生まれる前に
神さまと約束をした
私の人生の
プランだとしたら
何があっても
生きぬこうと思う
泣きながら笑いながら

(産経新聞 平成29年10月4日付)

記憶のすべてをなくしたいほど、つらい体験をしたのでしょう。
涙がとまらないほどのつらい出来事があったかもしれません。

この方は、神様との約束という生き方を持ち、
どんなことがあっても生き抜こうとしています。

そんな強い生き方が、人としての成熟さを高め、自分の幸せのみならず、
相手の苦しみもわかってあげて、共に幸せになっていく。
そんな充実した人生を送ることができましょう。
そんな生き方が人としての成熟さを深めていきます。

孔子に学ぶ人生の成熟さ

『論語』(岩波文庫)に出て来る孔子の言葉です。
立派な孔子の人生観ですから、私たちにとっては難しいと思います。
勉強の意味で学んでみます。

吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立ち。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳に順う。
七十にして心の欲する所にしたがって、矩を踰えず。

まず、十五才くらいに学に志すは、今でいえば、中学生ぐらいです。
奈良時代以降に行われていた成人となる儀式の元服は、
数えで十一才(十二才ともある)から十六才であったようです。
孔子の十五才とどこか共通するところがあります。

この十五は、人としてどう生きることが大切であるかを
学び始めるときということです。
これは人として成熟していく基本的な心構えといってもいいかもしれません。

十代の今の若者も、立派な考えを持っている人もたくさんいます。
ある新聞にこんな投書がありました。
11才の小学生で、心海(ここみ)と言う名の女性の投書で、
「広げたい海のような広い心」という題です。載せてみましょう。

広げたい海のような広い心

みんなの名前の由来は何だろう。

私の名前は海のように広い心になってほしい
という願いが込められている。
しかし、広い心を持つというのは難しいことだと思う。

嫌なことがあって家族に八つ当たりしてしまったり
友達とささいなことで言い合ったり。
人それぞれに広い心でいられないときはたくさんあると思う。

私はよく、訳もなく家族に八つ当たりしてしまうことがある。
すると八つ当たりされた家族も嫌な気持ちになってしまう。

また自分自身は悪意があって言ったわけではないのに、
相手は傷ついてしまっていることがあるかもしれない。

だから私は思う。
これから自分の一言一言を大事にし、名前のような広い心でいようと。

1人が広い心でいれば、その心が広がり、
みんなが広い心になるんじゃないかと思う。
そんな幸せな世の中であってほしい。

(産経新聞 令和7年8月4日付)

名前のように、広い心でいたいと書いています。
そしてみんなが広い心になって、幸せな世の中になればいいと願っています。

十一にし、人の道を学び始める、学に志す、です。
心を広く持ち、忘れずに、この人生観を成熟させていってほしいと思います。

次に三十にして立つ、です。
十五から十五年間、人としての道を学ぼうと思い続け、
大人になっていくわけです。

自助という言葉がありますが、自分で自分の身を助けること。
他の人に頼らずに、自分の力で人生を切り拓いていくことができる。
そんな意味が自助にはあります。

学び続けることを福沢諭吉が『学問のすすめ』(岩波文庫)で書いています。

実語教に、人学ばざれば智なし。
智なきものは愚人なりとあり。
されば賢人と愚人との別は、
学ぶと学ばざるとに由って出来(いでく)るものなり。

実語教とは鎌倉時代に成立した児童の教訓書です。
十五から人の道を学び続け、知恵を得て、賢人となっていく。
そのとき、自助なる精神を得て、
自分の力で人生を切り拓いていくことができる。
三十にして立つ、です。

(つづく)