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法話

何を見つめて生きる 1 それぞれの見つめ方

今月から「何を見つめて生きる」という題でお話を致します。
このお話は平成29年9月28日、法泉会という法話の会でお話ししたものです。
139回目のことです。

この法泉会は平成4年から、法話を聞きたい方々の依頼で始まった会です。
今も続いています。

安らぎの心

今回は「何を見つめて生きる」という演題ですが、
その人の生き方、考え方によって、
同じものでも違ったものに見える場合があります。

また、見つめるものによって、
人生観が大きく変わってしまうこともあります。

幸せの道を歩んでいくために、
何を見つめ、何を尊んでいったらよいのかを考えてみます。

私自身でいえば「仏陀の教えを見つめて生きる」になります。
簡単に見えるようですが、これが難しく、
なかなか仏陀の説く教えのようには生きられません。

こんな教えがあります。

安らぎに達するために、苦しみを終滅させるために、
仏の説きたもうおだやかなことばは、実に善く説かれたことばである。

(『感興のことば』中村元訳 岩波文庫)

安らぎの心、穏やかな思い、
そんな境地を常に保つことは、成し難いことです。

凪いだ湖面に石を投げ込めば、湖面は波立ち、
まわりの景色を粉々にしてしまいます。

人でいえば、人から嫌がらせを受け、
そのために心をいら立たせてしまい、
正しい判断ができない状態をいいます。

そうではなく、どんなことがあっても、
何もなかったかのように、安らぎの心を保ち生きていく。
いつになったら、できるのでしょう。

人は違っていていい葉

ある新聞に、「接食障害を経てぽっちゃり系モデルとして活躍する」という題で、
31才の女性のことが記事になっていました。

「接食障害を経てぽっちゃり系モデルとして活躍する」

彼女は「ぽっちゃり女子」向けのファッション誌、
「ラ・ファーファ」の専属モデルを務めていて、
「やせた方が美しい、太っていると不幸というイメージを変えたい」
と頑張っている人です。

やせていると美しい。
太っていると不幸という見方を変えるわけです。

彼女が高校3年の時、
好きな男性から「やせてほしい」と言われ、ダイエットを始めました。

まわりから「やせたね」と言われても、
自分は太っていると思い食事を制限し、
80キロ近い体重が1年ほどで47キロになったのです。

ですが、減量や仕事のストレスで、食べると止まらなくなり、
ひと月で15キロも増えたのです。

体重が増える怖さから、絶食や下剤で逃れようとし、また過食する。
この繰り返しでした。
診療内科で薬を処方されても治らなかったのです。

25才で就いた仕事で、数千人のプロフィール写真を扱い、
いろんな体形の人の笑顔を見たのです。

その笑顔を見て「やせれば幸せになれると思っていた。
でも人は違っていい。今の自分を受け入れよう」そう気づいたのです。

カロリー計算をやめ、食べたいものだけを口にした。
すると、おいしさや満足感がもどり、過食が止まったのです。

自分の体形を生かしたいと「ラ・ファーファ」のモデルに応募を決めた日、
偶然にスカウトされ、今は講演で自分の体験を明かし
「あせらないで、あきらめないで。出口はきっとある」
と呼びかけているようです。

(朝日新聞 平成29年9月12日付)

やせれば幸せになれるという見方から、
人は違っていてもいい、太っていても、それが自分の美しさである。
そんな見つめ方ができたのです。
何を見つめるかで、こんなに人生が変わるのです。

ちなみに、お話をする資料として、
「ラ・ファーファ」の雑誌を探して買い求めてみました。

女性誌を買うのは初めてでしたが、よくできていて、
この雑誌で救われている人もいると思うと、幸せになれる見方は多様であると教えられます。

きれいな花火

夏になると家の前で花火をする人も多いでしょう。

打ち上げ花火はその音もいいのですが、
空に花が咲いたようで、夏の暑さを忘れさせてくれます。
花火はきれいなものと、多くの人は思って見ていると思います。

こんな投書がありました。
高校教師をしている32才の女性です。

留学生「爆弾を思い出す」

大学時代、年下の留学生の友人がいました。
同じ寮で熱心な研究者ですが、性格はとても気さく。
共同キッチンで、手の込んだ料理を分けてくれました。

ある時、近所の花火大会に誘いました。
きっと喜んでくれると思ったのですが、
「爆弾を思い出すから行きたくない」という返事でした。
彼女はアフガニスタンの留学生で、花火は恐怖なのでした。

ショックでした。
彼女にとっても「花火はきれいで楽しいもの」であってほしかった。

教職についてから毎年夏になると、生徒たちにこの話を伝えています。

(読売新聞 平成29年7月30日付)

花火が嫌いだという年配の方もいるようで、戦争当時の空襲を思い出すというのです。
その人の人生で味わった出来事が、きれいであるはずの花火が、
苦しい時を思い出させてしまうものに見えてしまうのです。 同じものが、その人の見方によって、違うものに見えてしまうのです。

母の言い分、娘の言い分

炊飯器やナベなどの家庭用品を主に扱っている
ティファールという会社が60年ということで、
ある新聞に一面で、広告がでていました。(読売新聞 平成28年10月1日付)

とてもいい広告と思い、大事にとってありました。

そこに「家事とは、家族の笑顔のために」とあって、
左にお母さんと思われる女性が、右側に娘と思われる女性が、
共に笑顔で、料理をしようとする姿で写っています。

その真ん中に、「母の言い分。娘の言い分」とあり、
家事を、どう考えているのかが自筆で書かれ、載っていました。

これを見た時に、食事を作ったり、掃除をしたり、洗濯をする
家事に対する考え方が、母と娘ではずいぶん違うのだなあと思ったのです。

「義務」か「習慣」か

母の言い分として、1番目、家事は「義務」。
義務と言うと妻や母の立場として、しなければならない、
という、そんな意味合いが義務にはあります。

娘の言い分としては「習慣」とあります。
習慣というと、普段の日常の決まりきったことをしているだけという、
そんな意味にとれます。

義務だからしなくてはいけない。
習慣だから、決まりきったことをしている。そんな見方があるわけです。

「妻の役割」か「夫婦の役割」か

2番目の母の言い分として家事は、「妻の役割」で、
娘は「夫婦の役割」とあります。

昔は、男性が食事を作るということは稀で、
母や妻の仕事、そんなとらえ方をしていたと思います。

現在は、家事は夫婦の役割ということで、
夫婦が協力して家事をするというのは、ごく普通のことになってきました。

でも、女性の家事の負担の方がまだ多いようで、
男性も家事の見方を変えていかなくてはならないようです。

「手間ひま」か「時短」か

3番目の母の言い分は、家事は「手間ひま」で、娘は「時短」とあります。
手間ひまは、労力と思いやりをこめ、時間をかけてするものだということ。

娘はそうでなく、短い時間で家事をこなすのです。
その分、子育てや仕事に時間をかけるわけです。

「コツコツ」か「スイスイ」か

4番目の母の言い分は、家事は「コツコツ」で、娘は「スイスイ」です。
家事にたいする思いが、母は少し重く感じていて、
娘のスイスイはなるべく手間をかけずに、楽にこなす。そんな意味があるようです。

「経験」か「検索」か

5番目。母の言い分は、家事は「経験」で、娘は「検索」です。
何年も家事をやっていると、食事の場合、
塩かげんも甘さかげんも目分量でできてしまいます。

娘は、スマホを見て、何の料理を作るかを検索すれば、
その方法がわかって、改めて母に聞かなくてもいい、となります。

どちらも、正しいような気がしますが、
母が自分の見方に固執して、娘に「それではだめ」と言えば、
そこに諍いが起こってきます。

娘のほうも、母は古いといって、母の見方を否定すると、
そこに幸せの和が消えてしまいます。

互いが互いの見方、考え方を尊重していく。
そんな生き方が、必要ではないかと思います。

何を見つめて生きる

今まで見て来たように、人の生き方や考え方で、
同じものが違ったものに見えたりすることがあります。
また見つめるものによっては、その人の人生観も変わってしまうこともあります。

人には自由が与えられているので、
法律を犯さない限り、自由な生き方ができます。

真面目に生きる人、気ままに生きる人、
その日暮しで生きる人、ちゃんと計画性をもって生きる人、
感謝を大切にして生きている人、欲望をおさえきれないで生きている人、
それぞれによって、まわりのものの見方も違ってきます。

ただ言えることは、自由を与えられているからといって、
自分本位で生きていると人間関係に亀裂が入って、幸せにはなれないと思います。

自由とはいえ、生きるうえで責任が伴っているので、
そのことを知って、何を見つめて生きることが、幸せにつながっていくかをよく考え、
暮らしていくことが大切に思います。

命を授かる

私たちは人間に生まれてきました。
こんな奇跡はありません。

家に一匹の犬がいますが、いつも鎖につながれ、自由がありません。
犬の様子を見るだけで、人間として生まれてきたことがありがたく思うのです。
ありがたく思えば、この命を大切に使っていかなくてはなりません。

こんな詩を見つけました。
78才の女性で、「生を授かる確率」という題です。

「生を授かる確率」

新聞のコラムで知った
人がこの世に
生を受ける確率
0.000000000000134%
ジャンボ宝くじ
1等の確率
0.000005%
超くじ運が悪いと
思っていたが
こんな大きな幸運を
引き当てていたとは
おろそかにでき
ない
残された時間を ていねいに
生きていかねば
そんな気持ちになった

(産経新聞 令和7年7月25日)

人間に生まれることが、宝くじを当てるよりも難しいのに、
こうして人間として生まれてきた。それもくじ運が悪いと思っていた、
この自分であっても、人間として生まれて来た。
だからもっとていねいに生きねばと書いています。

こんな命の見つめ方ができれば、命を粗末にすることはできなくなります。
勝手に生まれてきたと思う人と、幸運を引き当て生まれてきたと思う人とは、
その後の生き方に大きな影響を与えていくと思います。

人間関係の亀裂

夫婦間でも、それぞれの立場をどう見ていくかで、
共に人生を生きていける人や、仲たがいをしてしまう人もいます。

この平成29年ごろに、
「夫源病」(ふげんびょう)という言葉が出てきました。
これはある大阪の大学の先生が発想した言葉だそうです。

夫源病というのは、妻が夫の言葉が原因で、ストレスを感じ、
その結果、心身にさまざまな不調をきたす病気だそうです。

妻がある日、風邪をひいて高熱を出して寝ていたら、
夫は「オレの御飯はどうするんだ」と言ったという。
そんな夫であれば、妻も共に生きていく力がなくなってしまいます。

特に夫源病の原因に、
夫が「妻に対する感謝やねぎらいの言葉がない」ことや
「家事や子育てを手伝わない」「気分やであったり、威圧的態度を取る」
などがあげられています。

一方では、『妻が怖くて仕方がない』(福岡悠希ポプラ社)や、
『捨てられる男たち』(奥田祥子SB新書)などの本もでているので、
それぞれの立場を、どのように見つめていくかが問われます。

ともに幸せな家庭を築いていくために、
どう相手のことを大切に見つめ、暮らしていくかが問われます。

できることならば、先月の「手を握る」の詩のように、
共に手を取り合い、生きていくことが大切です。

(つづく)