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法話

人生の舵をとる 3 どのように舵を取っていけばいいのか

先月は「自分で舵を取り、生きていく」ということで、
最高の生き方で舵を取っていくことができればというお話や、
人生の舵取りは死を受け取る最後まで続くというお話でした。
続きのお話を致します。

どう舵を取るのか

先月の表紙の詩は、ある新聞のという題で、
44歳の男性の書かれた投書を詩にしたものです。

「理由知り・・・人柄にも心も熱く」

職場の上司に同僚の女性から
「出勤するのが遅れます」と電話があった。

その遅刻の理由が、
通勤途中でおじさんが道路で倒れ込むように座っていたので、
救急車が来るまで声をかけ、付き添っていたという。

その理由を聞いて、彼女のように
「当たり前のことを、当たり前にできる人間になりたい」
と強く思った。

(産経新聞 令和6年9月24日付)

そんな内容のものでした。

この女性が倒れこむように道に座っていたおじさんに笑顔で付き添ったという、
そんな人生の舵取りをしたのです。

通り過ぎてしまえば、そのような選択をしたことになりますが、
この女性は通り過ぎることなく立ち止まって、おじさんを支えてあげたのです。

こんな話を聞くと、心がぽっとあたたかくなるのはなぜでしょう。

次のような投書もあります。
「機敏な介抱に感心」という題で、72歳の女性が書かれたものです。

「機敏な介抱に感心」

夕方の電車内で、目の前の女性の脚が突然けいれんし始めた。
カバンのヘルプマークに、パニック障害や過呼吸の症状があると書かれている。
別の女性2人が介抱し、駅のベンチに座らせた。

冷たい水を購入し飲ませ
「大丈夫よ。大きく息を吸いましょう」などと声をかけた。
私は駅員を呼び、対応してもらった。

2人の女性が医療従事者かどうかわからないが、
てきぱきとした行動に感心した。
まだまだ優しい人がいると知り、心強く思った。

(読売新聞 令和6年10月30日)

こんな投書です。

「まだまだ優しい人がいる」と感心しています。
最近のニュースなど見ると、人を騙(だま)したとか、
母が子を殺(あや)めたとか、マイナスのことばかりの報道で、
心が痛む思いをしていました。

でも優しさに舵を取る人もたくさんいることを知り、
できればそんな人生をみんなが選び、幸せになっていけたらと思うのです。

子も自分で舵を取る

自分自身で人生の舵を取っていくというのは、よく理解できると思います。
でもなかなかこのことが分からず、自分の不幸を相手の責任にし、
それが苦しみを招いて、生きていくのが辛くなってしまうことがあります。

たとえば親が子に期待するのは、
自分が求めても得られなかったりすることです。
ピアノを習えなかった親は、子にピアノを習って欲しいと思う。
こどものころ、寂しい思いをした親は、そうさせては可哀想だと思い、
なるべく子と一緒にいようと思う。

医師になって欲しいと思う親は、
子に出来るならば大学に行ってしっかり勉強して欲しいと思う。
そして、それを強制してしまう。

その強制が子にとって負担で、
本音は勉強をしたくないし、おもしろくない。
それで学校の窓ガラスを割ったりして、問題行動を起こす。

それを知った母はヒステリーを起こし、父親に何とかしてほしいとわめく。
父親は、子育ては母親にまかせきりで何もしない。それを見て、
子は「大人になりたくない」と思う。
何故ならば、「大人は、したくなくても、しないといけないことばかりで、退屈だ」
と思ってしまう。(「子どもの『心の病』を知る」岡田尊司〈たかし〉参考)

子どもも親の自由にはならないし、
親が子を自由に変えることはできないのです。
子が何を目指したいのか、それを知って上手にサポートするのが、
親の役目だといえます。

自分が変わる舵取りをする

今から10年ほど前(平成27年)、
『学年ビリのギャルが、1年で偏差値40をあげて、慶応大学に現役合格した』
(KDOKAWA・坪田信貴)という本がでて、有名になりました。

その後、この子(ビリギャル)のお母さん、ああちゃんと、
子のさやかさんが共著で
『だめ親と呼ばれても、学年ビリの3人の子を信じて、
 どん底家庭を再生させた母の話』(KADOKAWA)
という本を出したのです。

この本の中で、夫婦の在り方が面白く書かれていました。
ここで心にとまった言葉が、次のものです。
これはさやかさんの言葉です。

自分が変われば、周りも変わる。イヤなヤツだって、変わる。
どうしてこんなかんたんなことが、今までわからなかったんだろう。

夫婦というのは考え方も生活の仕方も異なり、
それを合わせていくのが我慢のしどころです。
この本に書かれている夫婦の違いが20個ほど書かれています。
よく分析をしたと思います。

たとえば、奥さんは薄味、旦那さんは濃い味。
奥さんは手作りの料理、旦那さんはそんな手料理にはこだわらない。
奥さんは猫舌で、旦那さんはお店でぬるいものが出て来ると怒って文句をいう。
奥さんはエコにこだわって、クーラーや暖房機をつけすぎない。
旦那さんは夏は冷蔵庫のように冷やし、冬は蒸し風呂のように暑くする。
奥さんはインドア派で、旦那さんはすぐ外に出て行ってしまう。などなど……。

そして離婚届けの判まで押したのです。

やがて気づきは訪れます。
夫のことを理解できなくても
「子どものために、この人(夫)が、
 間違いなく家族を幸せにしてくれている人だ、と信じよう」と思ったのです。
「私が夫を否定する心が、夫を悪人に見せていたのだ」と、思ったのです。

そして、旦那さんが、本当は外で気前よく、人の幸せを自分の幸せと思える、
無償の愛の人なのだと心に念じたのです。
そう思うと、旦那さんがしてくれたことに感謝できるようになったと書かれていました。

自分が変わり、夫も変わって、笑顔の絶えない家庭になったのです。

思いやりの心で舵を取る

厚生労働省が、介護施設の職員らによる虐待が、
2年連続最多更新という調査結果を出しました。

2006年度は54件の虐待があり、
それが2022年度になると、856件にまで増えたというのです。

内容は「身体的虐待」が57.6%と最多で、「心理的虐待」が33.0%、
「介護等放棄」が23.2%と報告されていました。

今後も虐待が増える可能性があると、
高齢者虐待に詳しい日本大の山田裕子教授が指摘していました。

この虐待も、さまざまな理由があるにしろ、
思いやりの心を失い、人生の舵を誤って取ってしまった結果です。
心の内に閉じ込められた良心が、きっと、涙を流していることでしょう。

葬儀の場で、私は必ずお話をするのですが、
この人は90年生きられた男性の方で、こんなお話を葬儀の時に致しました。
思いやりの心をお孫さんに送ってあげた、徳ある方でした。そのお話です。

ここに佐藤正雄(仮名)さんは、数えで90年の生涯を閉じられました。
心あたたかな人で、よく人の面倒をいとわずみて、みんなに好かれる人でした。
しかもよく学ばれて、知恵深い人でもありました。

人はこの世に学ぶために生まれてきました。
ある時は優しさを学び、ある時は耐え忍びを学び、
また創造することを学んで喜びを得たり、さまざまです。

佐藤さんは、仕事をしながら家族を守り子を育て、
その中で優しさを学び、また厳しさや耐え忍びも学んだことでしょう。

そして創造することの学びのひとつに、水墨画がありました。
達磨さんを描き、観音様を描き、
逝く時にはその達磨さんや観音様を床の間に飾ってもらい、
自分の描いた仏様に守られて逝きました。

生前、観音様を描かれているときには、
写経と同じように、心を正して、描かれたことでしょう。
禅的に言えば、きっと心の中に自らの観音様を感じ取り、
その姿を絵に写し取ったといえるかもしれません。

床の間の観音様の絵が、佐藤さんを送ってくれたように、
家族のみなさんの仏様と同じような温かな言葉をお読みし、送ってさしあげます。

 父は優しい人で、子どもの私たちを叱ったりすることはありませんでした。
 芯が強く、弱音を吐くことのない人でした。
 ゲートボールや水墨画など趣味をたしなむことで、
 遅い青春時代を楽しんでいました。
 会社勤め、農業と生涯現役でした。

 おじいちゃんからは「一生できる技術を身につけなさい」と言われ、
 休むことなく専門学校に通い、勉強も頑張ることができました。
 この言葉を胸に頑張っていきます。

 おじいちゃんの温厚な姿が大好きです。
 いつも優しく気をつかってくれてありがとう。
 おじいちゃんが亡くなって、おじいちゃんの有り難さが、
 いっぱい分かりました。

 元気で働くことが大好きなおじいちゃん。
 お世話になりました。夏のこと、孫に冷たいジュースありがとう。
 頼りがいのあるおじいちゃんでした。

 おじいちゃんに「思いやりの心」という言葉を贈ってもらいました。
 この言葉を忘れないで、みんな仲良く頑張ります。
 長い間ご苦労さまでした。仏様のみ手の中でゆっくり休んでください。
 ありがとうございました。

こんな温かな言葉に送られ、そしてみ仏様に守られ、
浄土の世界へ無事旅立ちができますよう念じて、
お別れに、今一度拝礼をささげます。

こんなお話を致しました。
人生の舵を上手に取って生きられた。そんな思いが致します。

佐藤さんのように、
人を不幸にして傷つけるのでなく、人を幸せにして喜びを与える。
そんな人生の舵取りができればと思います。

すごろくのたとえ

すごろくは目的地に早く着いた人が勝ちになります。
サイコロを振って2がでれば2つ進むことができます。
でも、そこに2つ戻りなさいと書かれていれば、2つ戻らなくてはなりません。

あるいはそこにさらに1つ進みなさいと書いてあれば、ラッキーです。
あるいはそこに歌を歌いなさいと書いてあれば、
嫌だけれども歌わなくてはなりません。

考えるに、人生も同じように思えます。
一生けん命頑張ってもうまくいかなくて失敗し、
今の地点から3歩戻ってしまう。

成功して2歩前進。さらに努力して前進すると、
そこには逃れられない苦しみが待っていた。

でも、すごろくと違い、早く目的地に着く必要はないのです。
自分の歩く速さでゆっくり生きて、
自分の生きる舵取りをしていけばいいのです。
いつも明るい方向を見て、自分を信じ、生きていけばいいわけです。

「ためいき」という詩がありました。
54歳の女性の方が作られた詩です。

ためいき

気がつくと
下を向いて
ためいきを
  ついている
下を向いていると
ますます 自分が
小さくなる 気がする
ためいきは
上を向いて つこう
空には 父と母がいる
叱ってくれる
上を向くよ
父さん 母さん

(産経新聞 平成29年2月21日付)

こんな詩です。

生きていくのにためいきをついてしまうほど、大変なときもあります。
そんなとき上を向いて明るく生きていく。
そんな人生の舵取りが必要です。

そして叱ってくれる人がいるのは、幸せなことです。
下ばかり向いた自分の人生の舵取りを、修正できるからです。

人生の舵を取ったその先にあるもの

みな人生を終え、死を受け取らなくてはなりません。

死後の世界で、幸せの里に住むのか、それとも不幸で暗い里に住むかは、
今生きている人の生き方にあります。

死んだらお終いと考える人は、
おそらく人生の舵取りを、誤ったほうへ取ってしまうでしょう。

死んでも終わりでない。
だから、この今を大切に、思いやり深く、自分を律して生きていく。

笑顔を忘れず、感謝の思い深く、
自分が幸せになり、そして、困っている人にも手を差しのべる。

そんな人生の舵取りをし、幸せの道を歩んでいくのです。