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法話

人としての成熟さ 2 さまざまな成熟の姿

先月は「成熟さということ」で、
成熟の意味や人生のつらさに立ち向かうなど、
人として成熟していくことをお話し致しました。
続きです。

惑わない

先月は『論語』(岩波文庫)に出て来る言葉で、
三十にして立つまでのお話でした。
途中であったので、もう一度その言葉を載せます。

吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立ち。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳に順う。
七十にして心の欲する所にしたがって、矩を踰えず。

四十は惑わずとあります。
この論語を訳した金谷治氏の訳は
「四十になってあれこれと迷わない」とあります。

でも、人は迷いながら人生を生きています。

たとえば買い物ひとつでも、いつ買い物に行こうかと迷い、
どのお店にしようかと迷い、お店に入れば、
野菜を選ぶにしても値段で迷い、新鮮かどうか、
大きさや、どこで取れた野菜なのかと迷い、
またどのレジがすいているかと迷い、
家に帰って、冷蔵庫を開けると、買った野菜がまだあって、
何を迷っていたのかしらと思う。

この場合の四十にして惑わずは、
四十才まで生きてきて、この生き方でよいと確信して迷わない。
そんな意味だと思います。

私自身、父が五十六才で亡くなり、二十代で仕方なく坊さんになった。
そして四十にして、この職業でいい、有り難い。
そう思えるようになった。
それが惑わずということかもしれません。

天のさだめごと

五十にして天命を知る。
この天命の説明に、
「天のさだめごと、人間の力をこえた運命としての意味が強い。
 天は不可知なものである」
とあります。

ここでの天とは、
神仏の存在とも言い換えることができると思います。

「天のさだめ」の意味を、こう解釈してみます。
私がこの世に生まれてきた。
それは、仏や神から、大切な使命
あるいは問題、課題をいただいて生まれ、
今、私がここにいる。

神仏が、
「あなたに与えられた人生から、意味ある学びをしてください」
と言われ、ここに私が生まれてきた。

それを知るということ。
それが、天命を知ると言ってもいいかもしれません。
そう生きていく時、人としての成熟さがつちかわれていくのです。

次の「耳順(みみした)がう」も、
神仏の思いを素直に聞き、その思いにしたがって生きていく。
そう思えます。

水の流れるように、さからわず

日々の生活の中ではどうでしょう。

人としての生きる道として、
まず相手の言うことを聞いてあげること。
自分の意見を述べる前に、相手の意見をしっかり聞いてあげる。
その生き方も、「耳順がう」になるのではないかと思います。

相手の言うことを聞く時でも、
嫌なことを言われれば、もう聞きたくないと思ってしまいます。

『女子の教養(たしなみ)』(石川真理子 致知出版)の中に、
厳しい意見でも感謝の思いで受け、
悪意の言葉にたいしても水のような素直な心で受け止めていくという、
そんな意味の引用文が載っていました。
幸田露伴の娘さんで、幸田文(あや)さんの本からです。

そういうように、ほんとのことを言われたときには、
素直に、仰せの通りといえばいい。

恥ずかしいと思ったなら、それもそのまま恥ずかしゅうといい、
御指摘いただきましたのをよいたよりにいたしたく、何卒御指導を、
と万事素直に、本心教えを乞うて、何にもせよ、
一つでも半分でもおぼえて取る気になれば、よかったではないか。

水の流れるように、さからわず、
そしてひたひたと相手の中へひろがっていけば、
カッと抵抗してたかぶるみじめさからだけは、
少なくとものがれることはできた筈だ。

(『月の塵』 幸田文 講談社文庫)

水の流れるように、さからわず、相手の言葉を受け入れる。
これも「耳順がう」ではないかと思います。
ここまで人としての成熟さを育てていくのは大変なことでしょう。

そして、七十にして心の欲する所にしたがって、
矩(のり)を踰(こえ)えず、です。

金谷氏の訳では
「七十になるとおもうままにふるまって、それで道をはずれない」
とあります。

禅的には、ありのままに生きて、
それが仏の心に違(たが)うことなく、
多くの人に幸せを与えて生きられる。そんな生き方です。

こんな尊い生き方ができるのは、(私にとって)いつのことでしょう。

悲しみは心を深くする

水の流れるようにさからわずとありましたが、
相手のきつい言葉ばかりでなく、悲しみや苦しみも、
できれば水の流れるように受け流して、
でも、そこから人生で尊い何かを得られれば、ありがたいと思う。
そんな生き方も大切ではないかと思います。

69才で亡くなられた男性の、3回忌の法要をしたときでした。
3回忌ですから、亡くなられて2年が経ちます。

法要が終わって奥様に
「旦那さんが亡くなって3回忌ですが、どうですか」
と聞くと、奥様が涙ぐんで
「まだ淋しくてたまらない」
というのです。

旦那さんはとてもいい人で、夫婦仲もよく、
なかなか悲しみが取れないでいるようでした。

その方の葬儀のとき、こんなお話をしました。

ここに杉本正信(仮名)さんは、
数えで70年の生涯を閉じられました。

この2月の初めに、お寺の護持会費を、
お寺まで納めに来てくださいました。

その時は不治の病と闘っているとは知りませんでしたが、
いつもの笑顔を見せてくれました。

それから亡くなられたのが、3月22日。
次の日は満69才の誕生日であったとお聞きしました。
人の命の定めは、仏のみぞ知るで、大いなるはからいを感じずにはいられません。

正信さんとは親しくお付き合いを始めたのが、
平成12年1月に、正信さんのお父さんが亡くなられた時からです。
そのとき、「この和尚さんとなら、うまくやっていけそうだ」
というお言葉をいただき、その言葉が印象的に思い出されます。

正信さんは、責任感もあり、思いやりもある人で、
礼節を守りながら、賢明に与えられた命を生き切ってきました。
先祖様のことも大切になされ、義理人情の深い人でもありました。

森山直太朗の歌う「さくら」の歌詞のなかに、
「さくら さくら いざ舞い上がれ
 永遠にさんざめく光を浴びて
 さらば友よ またこの場所で会おう 桜舞い散る道の上で」
が出てきます。

人生70年。
しっかり生きて、仏の光を受け、
桜の花のように舞い上がり、天に昇っていく。

やがて桜の花がさきほこるいつの日か、どこかであなたと再会する。
その日まで、正信さんの名のごとく、人として正しく生きていこう。
さらば友よ。そんな思いが募ります。

家族のみなさんが、
さきほこる桜のような日のひとこまを、語ってくれました。

あなたは仕事一筋でしたね。ご苦労様でした。
あなたは時には怖い存在でしたが、とても思いやりがあり、
いつもみんなを愛してくれ、とても優しく頼りがいのある人でした。
車も好きでしたね。

栃木に来てくれたときには、料理も作ってくれました。
とてもいい人で、いろいろみんなを支えてくれました。
みんな感謝しています。

通夜の時は、あなたの誕生日でしたね。
元気で誕生日をお祝いしたかったのですが、
通夜のお経の時、誕生日のケーキをお供えできたのが、
何よりの心の慰めになりました。

もうすぐ桜が咲きます。
ありがとう。お世話になりました。

桜は今年も咲き、来年も咲きます。
そのように、可憐な桜の花が咲くように、いつの日か再会できますように・・・。

そして今は、仏様に守られ、
桜花咲く浄土の世界に昇っていけますように・・・。
み仏様のご加護を念じて、お別れの拝礼を致します。

こんなお話を致しました。

別れは悲しいものです。
葬儀のときに、今は亡き人が生きている私たちに
たくさんの事をしてくれた、たくさんのいい想い出を残してくれた。
そんな話をすると、みな目に涙をにじませ、別れを偲んでいます。

ある男性は、父が「葬儀はしなくても・・」と、
家族に余計な心配をさせないようにと言い残したのですが、
息子さんは、それではあまりにも礼がないと葬儀をしました。
喪主の挨拶のときには、止まらないほど涙を流して、父を送ったのです。

誰かが残した言葉に
「親に死なれ、本当に親に出会えたという人あり」
とありました。
悲しみの中で、この息子さんは本当に、父親に出会えたかもしれません。

悲しみは、さまざまな宝を残してくれるのです。
人はそうして成熟していくのです。

恩を知る人としての大切さ

親に死なれ、本当に親に出会えたというのは、
小さい頃から、どれだけ親に恩を受けたかを思い出した言葉とも、
とらえることができます。

イソップ童話の中に「農民とワシ」という物語があります。

農民とワシ

ある日、農民が道を歩いていると、
ワナにかかったワシを見つけました。

そのワシがとても苦しそうで、悲しい目をしていたので、
農民はとてもかわいそうに思って、ワシを逃がしてあげました。

数日後、その農民が崖のそばの岩の上で休んでいると、
助けてあげたワシが農民のかぶっていた帽子をいきなり取り上げて、
少し離れたところに落としました。

農民が帽子を追いかけて拾おうとしたとき、
崖くずれが起きたのです。

もし農民がそのまま岩の上に座っていたら、
大けがをするところでした。
ワシのおかげで難を逃れることができたのです。

こんなお話です。

これはたとえ話なので、
ワシが助けてもらった恩返しに、
農民を助けたというのは考えにくいことです。
(でも、本当にあるかもしれないと私は信じるほうですが)

でも、恩を忘れず、お返しする。
人としての成熟さをつちかう生き方だと思います。

母の手を握る

こんな詩を見つけました。
73才の男性の「母の手を」という詩です。
母の恩を感じる、そんな詩です。

母の手を

良家から十三代続く
農家に嫁ぎ
寝る間もなく働きづめ
頑固な祖父に叱られ
よく泣いていた
次男 私の手を
陰でそっと握って
いてくれた
若くもザラザラの手

二十分の面会時間
黙って母の手を握り
あの日のぬくもりに
感謝を込めて伝えたい

(産経新聞 令和8年1月16日付)

よく泣いていた次男の男性。
その彼の手を母が、陰でそっと握って、優しくしてくれた。
その時の恩を思い出し、今度は自分で感謝を込めて母の手を握る。

あたたかな思いが伝わってきます。
ここに、人としての成熟した姿を見ることができます。

昨年の『法愛』8月号に、「やわらかな母の手」という章で、
「贈り物」という男性が作った詩を載せました。

幼い日、母と手をつないだ記憶がない。
そんな母と手をつなげたのは、母が息子の顔を忘れたときだった。
血管が浮き出て染みだらけ。だけどやわらかい母の手。
男性は思う存分、母の手を握り続けた。
あれは認知症の母がくれた贈り物だと今は思う。
そんな意味の詩でした。

ちょうどこの月、母を亡くした檀家さんがいて、この詩を読んだようです。
そして私に言うのです。
「和尚さん、8月号に出ていたあの詩、本当にそうで身に沁みました」と。

恩を知ると、そこに尊い思いが出てきます。
それは感謝の思いです。
その言葉は「ありがとう」です。

たった五文字ですが、
この言葉が成熟した人としての姿を、作り出していきます。
なぜなら、感謝の言葉は、相手を大切に思う心から出てくる、言葉だからです。

(つづく)