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しきたり雑考(72)

一つと二つについて

今月は「一つと二つ」についてお話しします。
{『しぐさの民俗学』ミネルヴァ書房 常光徹著 参考}

人が亡くなり、お寺に相談に行く時は
一人(一つの意味)でいくものではない、という言い伝えがあります。
一人で行くと、死者に魂を抜き取られるというのです。

人が他の家に尋ねてドアをノックする時に、
日本人は1回でなく2回ノックをし、アメリカ人は3回ドアをたたくといいます。
ある女性が、ドアを1回ノックされたときがあって、
それがとても気持ち悪かったと述べていました。
実際、机を1回コンとたたいてみてください。
2回コンコンとたたくとどうでしょう。
1回は、何か変な感じがしませんか。

言い伝えでは、「1回」は異常や不安定、
あるいは非日常的なことを表し、「2回」は正常や日常性を表現するとあります。

民俗学者の柳田國男が夕暮れ時に互いに声を掛けるとき、
モシモシと二言(ふたこと)言って、
モシと一言いうだけでは、相手は答えてくれない。
キツネではないかと疑われるから、とそんなことを述べています。
電話でもモシモシという場合が多く、
モシと返せば、なんだか気持ち悪い思いもします。

この一つと二つ、一言と二言、
あるいは一声(ひとこえ)、二声には、さまざまな言い伝えが残っています。

夜中に大きな物音が1回だけすると忌み嫌われるとか、
一声のものは魔物ではないから返事をしないとか、
山小屋などでは特にこの一声を忌み嫌い、
人を呼ぶならば二声続けて呼べと戒めている、
怪物が人に声をかける時には、いつも一声しか呼ばないなど、
さまざまな言い伝えがあります。

通夜のお参りなどで、お経をあげていると、
時々天井が「ミキ!」と、一声鳴るときがあります。
「ミキミキ」とは言いません。
何かそこに霊的は影響があるのでしょう。

妖怪などの異界のものが人を呼ぶときは一声で、
人が死霊を呼ぶときも一声でするようで、
一声は異界からの声であると同時に、この世から異界に向けての声でもあり、
二つの世界の交流を、一声や一言で行われてきたというのです。
興味深い風習です。

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