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しきたり雑考(63)

振り返るな

今月は「振り返るな」ということで考えていきます。
{『しぐさの民俗学』ミネルヴァ書房 常光徹著 参考}

ふり返ってみてしまう逸話は、世界中にあるようです。
日本でも「古事記」の中に、死んでしまったイザナミを
夫であるイザナキが黄泉の国へ迎えに行き、
「決して私の姿を見てはいけない」というイザナミの言葉を破って、
振り返り見て、イザナキが大変なことになったことが記されています。

常光氏の本の中にも、こんな逸話が載っていました。

秋田県で伝えられている俗信です。
家に風邪をひいたものが多くて、みんながどうしても治らないときは、
赤飯と草鞋(わらじ)とお金を持って、遠い田んぼに行き、そこで
「神様風邪を連れていってください。
 行くときに、この草鞋をはいて、お赤飯を食べ、
 お金を持っていってください」
と拝むのです。

そしてそこから家に帰る時には、
後ろを振り返らず帰ると、風邪が無くなるのです。
もしそのとき、後ろを振り返ると、風邪の神が戻って来てしまうというのです。

あるいは、葬儀の時に、告別式が終わって出棺になります。
出棺を見送る人たちがいて、出棺に立ち会って共に行く人は
振り返ってはいけないというのです。

その理由が「後をひく」ということで、
続いて死者が出るということからだそうです。
友引の日に葬儀をしないのも、「友を引く」で、
続いて死者ができることを忌み嫌ったところから出ているのと似ています。

「野辺の送りのとき、後を振り向いた人は死ぬ」とか、
「お葬式のお供に立って行く時、後を振り向くと、次いで人が死ぬ」とか
「葬式の行列の時に、後ろを振り向くと早死にする」など、
たくさんの言い伝えが残っています。

振り返り見るのは、死者への未練と受け止められ、
あの世からの誘いを受けると信じられていたのです。

背を向けて無関心を示すと、死者が未練を残さず、
あの世の旅に出ることができるというわけです。

死者が使っていた御飯茶碗を壊すのも、
この世の人ではないと死者の霊に知らせる意味があります。

振り返らないは、絶縁の意志を表し、
それがまた成仏を願うことにもつながっていくわけです。

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