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しきたり雑考(46)

還暦と姥捨て

今月は「還暦と姥捨て」についてお話し致します。
(関沢まゆみ説参考)

還暦は数え年の六十一才です。
この年は厄年とも言われ、特に無病息災を祈り、
神社やお寺でご祈祷を受ける人も多いと思います。

昔、ある地方では数え年の六十才で村の役を引退し、
数え年の六十一才で神社の世話役をつとめるといった例があったようです。
六十一才で信仰的な面にかかわっていくわけです。

日本の年齢の数え方に、干支(かんし)で数える方法があります。
子丑寅(ねうしとら)と十二支が十二年で巡り、
六十才になって最初に戻ることから、赤ちゃんに戻ると言われて、
赤いちゃんちゃんこを着てお祝いをするのです。

あるいは十年ごとの区切る方法もあって、
四十才が初老で、五十才、六十才と数えていく方法です。

平安時代ころから六十才になると、
老人が山に捨てられるという風習があったようで、
それは子として忍びないと連れ帰る、そんなお話が残っています。

前述したように、数え六十一才で神事を司る役につかれたり、
あるいは「姥捨て山」のようなお話から、
お年寄りの知恵の深さを蔑ろにできないから、
お年寄りを大切にするという、そんな話もあります。

「姥捨て山」という紙芝居があります。
そこには、山に捨てられない母親をかくまって、
その老いた母から知恵をいただくということが描かれています。

その中で「灰で縄をなってこい」というものがあります。
若者には分からない問題です。
これは「固くなった縄をゆっくり焼いて灰にする」という答え。

「火を紙に包め」という問題には、
若者たちは燃えている火を紙で包もうとする。
しかし老いた母は「提灯(ちょうちん)に火を灯すように」と教える。

あるいは「今日一升の小豆を明日に二升にしてこい」という問題に、
「晩に、水にその小豆をつけておけば、
明日にはその小豆が水を吸って二倍にふくれて、二升になる」と答える。

また、「同じ毛色で同じ大きさの馬の親子を見分ける方法」はという問題に、
「嵐の日に、丘に二匹を並べておくと、風上に立つのが親である」と答える。

お年寄りは老人ホームへという風習の中で、
六十を過ぎた人びとは、神に近くて神事を司り、
世間での知恵が深い人たちであると、尊ばれる存在になっていくことが必要でしょう。

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