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しきたり雑考(30)

厄落とし

今月は「厄落とし」についてお話しいたします。

厄というのは「苦しみ、災い、災難」をいいます。
そんな厄を落として、健康で幸せに暮らせることを願うわけです。

一般には女性は19才、33才、61才。
男性は25才、42才、そして61才と言われています。

語呂合わせで「重苦」や「さんざん」、また「死に」などがありますが、
これもひとつの理由かもしれません。

昔は厄の人は村から出たところや、四つ辻などに、
お餅(もち)やお金を捨てて厄を払ったこともあったようです。

筆者の子どもの頃、隣に神社があって、
その入り口に「道祖神」という石の塔が建っていて、
そこに割れた茶碗とお米やお金が投げられていたのを見たことが何度もあります。

おそらくそれも、厄落としの一つの儀礼ではないかと思います。
特に、お金を捨てるというのは何故でしょうか。

厄の一番の願いは、自分についた災難を落とすことです。
神社、仏閣にいけば、お賽銭を賽銭箱に投げ入れお参りをします。

お金は、人の罪や穢(けが)れ、
あるいは災厄を託す道具であると考えられていたのです。
お金を捨てることで、自らについていた災難や穢れを払い落すことができるわけです。

それも投げ入れるところは不浄の所であってはなりません。
神や仏が降臨する神社、仏閣であれば
罪、穢れを清める最高の浄化場所であるわけです。

よく清らかな水の中にお金を投げ入れてあるところを見たことがあります。
きれいな水をたたえている噴水(ふんすい)などに、お金がたくさん沈んでいるのです。

これも清らかなところに自分の罪咎(つみとが)をお金に託して投げ入れ、
その清水で清めてもらうという願いがあるのです。

ある女性の方が、とても迷っていて、
お寺の本堂に祀(まつ)られてあるご本尊様に、
毎日百円をお供えしてはお参りしていたら、その迷いも、
いつの間にかなくなってしまったという話もあります。

自らの迷いや苦を、お金に託して払い清めていただいたとも考えられます。
ですから、厄を落とすためには、お金を捨てるという行為が必要なわけです。

仏教的には善を積み、その善の行いで汚れを落とすということになります。
厄落としの儀式を通じて、お金を布施し、自らの穢れを落とし、
大いなる存在に守っていただく。
尊い行為と思われます。

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