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しきたり雑考(28)

ご飯にまつわるしきたり

今月は「ご飯にまつわるしきたり」についてお話しいたします。

まず一番目は、「茶碗を叩(たた)くと餓鬼が集まってくる」という習わしです。

この餓鬼は子どものことをいうのでなく、
貪欲で生きたがために地獄に落ちた餓鬼のことをいいます。

お盆になると自宅に帰ってきた先祖様の霊に餓鬼が取り憑かないように、
外に餓鬼に施しをする棚を作り、食べ物や水を供えて、
自宅にその餓鬼が入ってこないよう事前に供養をします。

お茶碗を叩くことは行儀の悪いことで、
早く食べたいという欲深な心を表し、それが餓鬼のしぐさに似ているために、
このような言葉が出てきたと考えられます。

餓鬼は貧乏神でもあり、
その餓鬼に取り憑かれた家は、金銭的に苦しくなり、
貧乏な生活を強(し)いられるとも言われています。
分け与える、そんな心根が大切なのです。

次に「ご飯をこぼすと目がつぶれる」と、昔はよく言われました。
今では差別用語なので、あまり使いません。

お米は食べ物の中で一番尊いもので、
神様に感謝をささげて、取れたお米をお供えしました。

「お米には三体の仏様が宿る」とか、
「お米は天照大神の御眼である」とも言われ、大切にしてきました。

そんな尊いご飯をこぼすのは、とてもいけないことと戒め、
大事な目に言葉を変えて、こう表現したのかもしれません。

今ではご飯ばかりでなく、さまざまな食べ物が粗末に捨てられています。
できることならば、感謝を深くし、食事を頂くことですね。

もうひとつは
「朝、ご飯に味噌汁をかけて食べる人は出世しない」
という言葉です。

朝の忙しいときに、ゆっくりと朝食を食べていられない人は、
ご飯に味噌汁をかけて一気に駆け込んで食べてしまう人もいるかもしれません。
私の所はお寺であったので、決して許されないことでした。

ご飯に味噌汁をかけて食べる食べ方は、非常に不作法で、
ご飯に味噌汁をかけて食べる人は余裕のない、
また計画性のない人だとみなされてしまうわけです。

神様にささげる尊いご飯は、そのまま感謝を込めて、口に運ぶ。
そんな礼節ある生き方が、幸せを呼び込むといえます。

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