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しきたり雑考(26)

トイレのしきたり

今月は「トイレのしきたり」についてお話し致します。

仏教ではトイレに
烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)をお祀りしています。
そこでお参りしてから用を足す礼節があります。

明王はもろもろの悪魔を退散させる力のある仏様で、
特にこのトイレの明王様は、不浄という悪を清浄に転じる力があるので
お祀りし大切にしてきました。

この明王様を尊崇してお参りしていると、
年をとっても下(しも)の世話を受けないですむという信仰もあります。

庶民信仰では、このトイレは川や井戸と同じように
異界とこの世をつなぐ空間あるいは境界であると信じていました。

ですからトイレが汚(けが)らわしいという意味ではなく、
その場を守るトイレの神様を祀ったわけです。

妊婦の女性がトイレをいつも掃除をしてきれいにし、
そこに花など飾ったりして、トイレの神様を祭(まつ)っていると、
きれいな子どもを授かると言われていました。

この風習も、トイレの神様が、 人の霊魂のこの世と異界との交流を司ってくれる働きをしているから という信仰からきているのです。

「トイレに唾(つば)をはいてはいけない」という風習も、
トイレの神様を汚してはいけないという考えからきているのです。

現代のトイレは水洗のトイレが増えてきて、
昔よりもきれいに使えるようになりました。

昔は厠(かわや)という言葉を使ってトイレを言い表してきました。
この厠の語源は「川屋」(かわや)から来ているようで、
昔は川の流れる上に簡単な小屋を作って、そこで用を足し、
不浄の物を流していたようです。

やがて大きな桶(おけ)や壺に変わっていって、
その桶や壺に子どもが落ちることもあって、
その時には、子どもの名前を変える風習があったともいいます。

なぜならば、トイレはこの世と異界の境で、
壺に落ちたというのは、異界という他の世界に行って、
そこから助かると子どもの霊魂が現世に再生したからだという信仰もあったようです。

昔の人は、どんなものにも神様のことを考えて結び付け、
自分の幸せを願ったともいえましょう。

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