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しきたり雑考(20)

塩と清め

今月は「塩と清め」についてお話し致します。

塩はいつも清めのために使われています。

古くから、人びとは海水で身を清めることをしていました。
これは「潮垢離」(しおごり)といって、海水を全身に浴びて、
身や心についた垢(あか)、すなわち汚れを取り、
神仏に参詣していたのです。

『古事記』などにも、イザナギが黄泉の国から帰ってきたときに、
その汚れを祓うために、禊(みそぎ)といって水で身を清めたのは有名な話です。

仏教でも沐浴(もくよく)といって、
身体をきれいにするために、水で身を洗っていました。

身を清めて、神仏にお参りしたり、
神仏の加護をいただける準備をするわけです。
その一つの儀式として塩が使われてきました。

たとえば、新しく家屋を建てるのに地鎮祭を行います。
その供え物の中に塩があります。

地鎮祭は、家屋を建てるその土地の神様を鎮めて、
障りがないようにと願う儀式ですが、
この塩は海から取れる代表的なもので、海の恵みとしての霊力があるとされ、
土地の神様のみ心を鎮める力があったのです。

また、お米も供えます。
このお米は、大地の恵みとしての穀物の霊力を表しているようで、
そんな力をお借りして、災いが起こらないことを願ったのです。

相撲は神事ですが、土俵に入る前に、
お相撲さんが、塩をつかんで、その塩を土俵に投げいれます。
これも清めの意味があります。

調べてみると、土俵を作る時に、
かちぐりや昆布、米、塩などが神様の供え物として、
土俵の中に埋めるのだといわれています。

さらに、土俵に入る時に、お相撲さんが口をすすぎます。
神社にお参りするときにも手を洗い口をすすぎます。
身を清めるのです。

そして柏手を打ち、四股(しこ)を踏みます。
邪気を払い、邪気を踏みしめ鎮める意味があるわけです。

日本は周りが海に面していて、
海で取れる塩を大事にし、その塩の力を尊んだことが伺われます。

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