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仏事の心構え(165)

仏像の見方について 45 羅漢

今月は「羅漢」(らかん)のお話を致します。

この羅漢は禅宗で特に大切にされている仏様です。

もともと羅漢は阿羅漢(あらかん)を略した名前です。
阿羅漢とは、尊敬に値する人という意味ですが、
もうこの世に生まれ変わって、修行をしなくてもいい人たちをいいます。

人は人格を高めるために、何度もこの世に生まれて修行をします。
その修行が足りない人が、亡くなると六道といって、
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の世界に行き、
そこでの修行で、六道の中の人間世界まで昇ってから、
また、この世に修行に生まれてきます。

そしてこの世でしっかり修行をし、
悟って、自らの人生の課題を終えれば、もう六道に行くことなく、
六道を越えた別次元の世界へ帰っていきます。

そして今度は、自分の意志でこの世に生まれ、人々を導く仕事をします。
その人たちを阿羅漢と言い表しています。

またこの羅漢を「無学」とも言っています。
無学とは学(がく)が無いと書きますので、
知恵の足りない人と間違いやすいのですが、そうではなく、
もうこの世で学ぶものがなくなったという意味なのです。

もう学ぶものがなくなったので、
前述したように、六道に帰っていくことがなくなり、
もしこの世に生まれてくれば、人々を導く仕事をするわけです。

禅宗では特に十六羅漢を絵にし、
それを掛け軸して祭っているところが多くあります。
あるいは五百羅漢も有名で、これは石に彫刻したものがあります。
髪を剃って、衣を着、袈裟を付けています。

姿はお坊さんの姿をしていて、五百羅漢などは、さまざまなお顔をしていて、
苦しみの顔や、笑う顔あり、泣くものあります。

学び尽くす前の、さまざまなこの世の苦楽の世界を、
さまざまな表情で表しているのかもしれせん。

この五百という数字は、お釈迦様が亡くなられた後、
結集(けつじゅう)といって、お経の編纂(へんさん)会議が開かれたとき、
五百人の羅漢が集まったことに由来しているようです。