仏事の心構え(119)
葬式とは何か 4
今月は「葬式とは何か」の4回目になります。
葬式をいらないという人の根本は、無宗教であると考えられます。
あの世も神仏も抽象的なもので、目に見えないから否定してしまうわけです。
死んだら何も残らないのに、
そのために多額のお金を使うことはないというわけです。
「葬式は直葬か家族葬で、戒名も自分でつけ、
一周忌などの供養も家族が集まって食事をするだけで、寺院を頼まない。
そうすればお金がかかることはない」
とある学者(島田氏)はいいます。
実に恐ろしい考え方です。
神仏を否定すれば、布施することもないので、お金もかかりません。
そんな考えで正しく、しかも強く生きていける人はすごいと思いますが、
私は傲慢な生き方ではないかと思います。
また霊的世界が実際にあるのに、それを知らないのは、
哀れな生き方であるとも思われます。
古来から葬式は、死者を送る大切な儀式であって、
亡き人の成仏や往生を願うものでした。
それはこの世の人びとの亡き方への感謝や思いやりの心から発するものであるとともに、 神仏に亡き人の幸せを祈るということでもあって、人としての尊厳を育てる大切な方法でもあったわけです。
そんな儀式をする中で、真なる別れができ、
その場が悲しみを癒す場となり、納得のいく別れを作ってきたわけです。
ある家の話ですが、その家は家族葬であったので、
後日葬儀に参加できなかった親しい人が是非お参りしたいと
4〜5人ほど来られました。
でも、そこの奥さんは、わずかな香典を置いていったと憤慨するのです。
みんながお別れをしたいのにその別れの場を奪っておき、後日お参りにきた人の、
香典が安いと怒る人の心には、鬼が住んでいるような気がします。
それは見えない尊い存在を信じないところから来ています。
無宗教ほど、心を粗雑にするものはないのです。
亡き人と充分なお別れをし、無事、神仏の国へ旅立っていけるように、
心を尽くしてあげる葬儀の式は、尊くすがすがしさを思うのです。