仏事の心構え(115)
直葬 7
今回は「直葬」の7回目で、最後になります。
先月は直葬について、僧侶の立場でのお話を致しました。
今度は一般の方々に対する葬儀の心構えのような事を書いてみたいと思います。
直葬をされる方は、やはりお金の問題が多いと思いますが、
もっと欠落しているのは、死に対する甘い考えであると思われます。
死んだらそれで終わりとか、死んだらみんな仏様になるとか、
死んだら自由になるとか、そんな死に対する考えがあるように思われます。
でも、です。
死を受け取るというのは、そんなに甘くないのです。
この世の善悪によって、あの世で住む世界が違ってきますし、
その前に、この世とあの世の境で迷ってしまう場合も多々あるのです。
そんな場合、一人の力ではどうしようもありませんし、
生前あの世を信じない人では、救われることは難しいのです。
地獄という世界を絵空事のように考えて、
行ってみなくては分からないという人もいます。
そうではなくて、この地獄の世界は現実に迫ってくる世界で、
そこに行ってからでは遅く、どんなに大変か認識していなくてはなりません。
このことは昔からお釈迦様や多くの祖師方が説いていることです。
祖師方も、霊的な世界が見えて、
それを見えない庶民のみなさんに警告してきたのです。
愚かな人々はその声に耳を傾けず、
いいかげんに生きて、あの世に行って苦しみを味わうはめになるのです。
葬儀というのは、宗教的な力で、亡き霊位を救済する儀式です。
そこには仏や神を信じる心が必要です。
神仏を信じて、神仏の加護をいただき、救いの道に入れるのですから、
生きている間に、しっかりした信仰心をたて、善に生きることを生きる指針とすることが大切になります。
でも、人はなかなか完璧には生きられませんので、
その足りない所を供養という形で補い助けてもらうのです。
葬儀もその一つの方法で、馬鹿にできない儀式なのです。
お釈迦様も、父が亡くなったとき、自ら棺をかつがれたといいます。