仏事の心構え(113)
直葬 5
今月は「直葬」の5回目になります。
直葬で問題なのが、お坊さんに関してもでてきます。
同じお坊さんとして耳の痛い話です。
『大法輪』という仏教雑誌が毎月出ていますが、
今年の一月号の読者の欄に「お坊さんの使命」という題で、
72才になる男性の方の文が載っていました。
そこには映画「おくりびと」の火葬場の職員の言葉が引用されていて、
この言葉をお坊さんが葬儀の場でいってほしいとありますが、
残念ながら参列した葬式で聞いたことがない、とこの方は言っています。
私も火葬場の職員の方がいった言葉が印象的で、
どこかに詳しい言葉が載っていないかと思っていたところでした。
次のように書いています。
ながい間ここにいると、つくづく思うんだよ。
『死』は『門』だなあって。
死ぬということは、終わりということではなくて、
そこをくぐり抜けて次へ向かう、まさに『門』です。
私は門番として、ここでたくさんの人を送ってきた。
『いってらっしゃい。また会おうの』と言いながら
そしてこの男性の方はこう書いています。
遺族には「亡くなった方は消滅したのではありません。
魂となってあの世に帰っていくのですから、
いつまでも嘆き悲しむことはやめなさい」と諭し、
死者に対しては「あなたはもう死んだのです。
いつまでも家族やこの世のことに執着することなく、
いち早くあの世に帰って人生を反省しなさい」と引導を渡すべきであろう。
そして最後に、こうした魂の存在をお坊さんたちは世に語り伝える使命を持っているのではないだろうか。
直葬の第一の問題点は、
やはり死んだらそれでお終いという考え方があるように思えます。
そのため葬儀という儀式は生きている人のためにやるんだという考え方になり、
自分たちが納得すれば、どんな送り方でも構わないとなっていきます。
直葬には、葬儀が
「亡き方の魂を癒し、あの世の世界に送ってあげるのだ」
という趣旨が欠落しているように思えます。