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仏事の心構え(99)

法事 9 「逆修―ぎゃくしゅ―」

今月は「法事」の9回目で、「逆修」にいてお話し致します。

法事は亡き方の成仏あるいはあの世での幸せを願って行うことは勿論ですが、その功徳はどれほど故人に通じていっているのでしょう。

お花やお菓子、果物、お膳などを供え、お経をあげて功徳を積み、その功徳を亡き方に差し上げます。これが法事の目的になります。

仏教では「七分獲一―しちぶんぎゃくいち―」という考え方があります。

少し難しい言葉ですが、この教えは、施主家の法事をした功徳が亡き人に通じていく割合をいっているのです。

功徳を七とした場合、施主家が六で、亡き方には一の割合であるというのです。七分の一しか亡き方は受けられないということです。その分、施主家に与えられる功徳のほうが大きいといえます。

よくお経の中には、あの世での成仏は難しく、そのために生きているときの徳積みを説いています。

あるお経(中陰和讃)には、「物の命は取らないけれど、欲しや惜しいで日を暮らし、憎い可愛いいで夜を明かす。これが未来で罪となる。娑婆(この世)に残っている人たちが一生懸命、追善供養をするけれど、なかなか成仏ができない。
だから生きているうちに、悪い心を起こさず、信心を培い、お経を唱え、慈悲と善根を積むことが大切だ
」と説いています。

生きているうちにあらかじめ善根を積むことを「逆修」というのです。

法事をすることは亡き人への感謝の表れで、法事の功徳を生きている人が七分の六いただけるのです。
先祖を大事にしている家庭は、あたたかな和の雰囲気が流れています。この意味で法事も生きている人の逆修といえましょう。

また、法事に限らず、日頃から信心深くして、神仏を礼拝し、菩提寺が指導してくださるお経を日頃から大事にし、教えに従って、まわりの人に、慈しみの思いを投げかけていくことが、あの世で迷わす、神仏に助けをいただけることでもあります。

亡くなってからでは遅いので、くれぐれも注意なさって、この世での徳積みを願います。