ホーム > 法愛 4月号 > 仏事の心構え

仏事の心構え(90)

法事

今月は「法事」についてお話をいたします。

まず法事はなぜするのでしょうか。そのことについて考えてみます。その理由について何点かあると思いますが、ここでは三点ほどあげてお話をしてみます。

まず一点目は、「あの世がある」から法事を営むということです。

しかも、死んだらみな平等に尊い仏様になるというのでなく、その人の生前の善悪であの世の逝く道がしっかり分かれるので、 故人が迷わないようにと願い供養し、また生前の悪を消し、生きている人が代わりに善を積んであげ、その善を手向け、故人の成仏を助けてあげるために行うのです

それを難しくいえば「追善供養」という言葉で表されています。

死後の世界を認めなかったり、死後の世界があまり分からないようでは、法事も必要なくなります。「死んだらそれでおしまい」で、すべてが無になってしまいますから、法事という供養の儀式もいらないことになります。

実際にお経の力で救われていく霊もありますから、法事をし、みんなの徳を手向けてあげ、善を代わりに積んであげることが大切なのです。

二点目は、法事により、自らの感謝の思いを培うことができるということです。

「仏、ほっとけ」と冗談で言われることですが、見えない存在になった方でも、 生前のしてくださったことを思い返し、それを報恩の思いに変えて法事を営むことは、やがてその家の繁栄にも通じていくのです。

なぜなら、感謝の思いが大きな仕事をするからです。

三点目は、法事をすることで、仏様にふれることができるということです。
あるいは仏教に触れることができるということです。

法事の席では、住職のお話を聞いたり、共にお経をお読みしたり、本尊であるお釈迦様や阿弥陀様を飾らせていただいたりします。

ある経典には「戯(たわむ)れに、遊女が袈裟を着けただけで、来世、お坊さんになった」ということが記されていますが、 法事の席で尊いものにふれることができたり、また法事が仏教を守っているということもありえましょう。