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仏事の心構え(89)

お墓 6

今回は「お墓」について6回目になりますが、これがお墓については最後のお話です。

今までのお墓は、大地に塔を建て、そこに遺骨を安置してお参りするという方法でした。しかし最近では自然葬といって、樹木葬、散骨、宇宙葬なども出てきて、多様化してきています。

樹木葬は墓石の代わりに樹木を植えます。遺骨の上に桜を植え、桜の花が咲くころ合同慰霊祭をするところもあるようです。 桜の木の下に眠られるという憧れみたいなものもありますが、桜の木に手を合わせるという違和感が残ります。  

 

桜の花の季節に亡くなっていきたいという願いは美しいのですが、あくまで桜の花は、自然に愛でて楽しむぐらいのほうが、よいのではないかと筆者は思います。

散骨は、遺灰を海や山などにまく方法です。ある会社では、ここ16年ほどの間で、1290回の散骨を実施したようです。 聞くところによると、遺灰をまいてしまうので、
故人の遺骨は何も残りません。

中には、時が過ぎて、手を合わせてお参りする対象もなく、かえって寂しさが出てくる人もいると聞きます。

お釈迦様の遺骨は、何人もの人が「欲しい」と願い、幾つにも遺骨をわけ、それを持ち帰って塔にして、いつまでも遺徳を偲んだといいます。

この散骨からは故人を大切に、その遺徳を偲ぶというより、生きている人の都合が優先しているような気もしますが、どうでしょう。

宇宙葬ですが、アメリカのある会社が始めたようで、200人を応募したところ、そのなかに日本人が50人いたということですから、いろいろな考えを持った方がいるのですね。

今は募集休止だそうですが、その金額は、ちなみに105万円するようです。きっと星になったと思い、お星様に手を合わせるのでしょう。

いずれにしろ、これからも墓地の形態は変わってくるでしょう。変わっても、故人を大切に思う気持ちだけは変わらないでいてほしいと願います。